忙しかった夏休み

久しぶりに「休み」という感じがした。
大学生の時は、ほとんど学校に行っていなかったから、毎日がホリデー。
インドで働いていた時は、職場には行くし、仕事もするけど、それほど「労働している」という感覚はなかった。
今年の夏は、ひっそり京都で学校に通っている。
先月から授業が始まって、6日間というまとまった休暇だった。
毎日授業を受けて、課題と向き合って、疲れてベッドに倒れこむ、ベッドの中で大学院にアプライすることや英語の勉強のことを考えて、
気持ち的に落ち着かないまま寝ることが多かった。

そんな休みが始まる直前に、昔の恋人と話した。
純粋に彼のことを尊敬していて、心から彼には幸せになってほしいと思っている。英語ひとフレーズで言えば、
I'm proud of him.
という感じだ。
なんとなく何かをすることができない性格の私は、納得して組織で働き続けることもできなかったし、大学も途中で変えてしまったし、彼氏ができても長続きしないし、彼が持っているものを私は一つも持っていない。
そんな彼が羨ましくなってしまった。
みんなきちんと就職して、毎日仕事をして、休日はヘブンのように楽しんでいる。社会が彼らを必要としている。
じゃあ、自分はなんなんだ。
何も生み出していない、何もしていな、そんな自分。
ある程度いい大学を出たはずだったけど、いわゆるエリートの道には全然進めなかった。
自分にないものをリストアップし初めてしまうと、悲しくなる。

夏休みはそんな心が苦しい毎日を過ごしていて、また違う友達と話した。
彼は私のこんな状態を、「普通への憧れ」と名付けた。
自分の進みたい方へ進んでいる。
ある程度、努力もしている。
そんな生き方に自分が一番納得している。
でも、たまに「普通」が恋しくなる。
安定した職について、安定した給与をもらい、安定したパートナーがいて、
これから先どんな風に家庭を築こうかなんて考える。
私が一番憧れているものだ。
でも、その道を選ぶことはできない。
(どんな働き方があってもいいと思うし、私は企業勤の人を本当に尊敬している。だけど、ある程度一般的な暮らしに異常な憧れがある私は、こんな屁理屈な考え方をしてしまう)

私には夢がある。
夢というととても、とても遠いものみたいに聞こえるし、そもそもそんな壮大なものでもない。目標というか、ちょっとしたゴールみたいなものだ。
一度は諦めかけたけど、心の中で時間を置くごとに大きくなっていったその想いに勝てなくて、そして色々なタイミングが揃って、
一歩踏み出してみることにした。
大丈夫、きっとできると自分に暗示をかけてきたけど、
時々、そんなの無理に決まってると可能性を全否定して、リスクのない、より安全な道に逃げたくなってしまう。

そういうタイミングで誰かと話したり、また自分が目指す道にそっと押し戻してくれたりする人がいるということも、きっと何かの巡り合わせなんだろうなと思う。
あと半年、思いっきり苦しい状況も楽しもうと思う。

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