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LOCKDOWN-何日目か

私の住んでいるインドでは4月14日まで全土ロックダウンすることが先週発表され、しばらく引きこもり生活を送っています。
本当は明日帰国するはずだったのに...と嘆きたい気持ちを抑えて、
今はみんなで頑張る時なんだとじっと堪えています。

4月に帰国することは年明けにはもう決まっていたので、
ブランクな未来が不安で仕方なかった私は就職?転職活動を早めに始めていました。次は、秘書兼通訳の仕事をする予定です。

これまでNGOの活動でフィールドに出てたくさん人と話す仕事の仕方をしていたところから、今年度はオフィスにこもって画面や書類と向き合うという全く違う形で開発のお仕事に関わってきました。

高校で留学をした時に出会ったアフリカからの難民の友人たちから聞く途上国での暮らしに衝撃を受けて、「どこで生まれたか」たったそれだけでこんなにも不当な違いがあっていいはずはないと無駄な正義感に狩られて目指してきた国際開発の道。
そんな理由から大学でも開発学を選んだけれど、違和感がぬぐい切れなかった。「遠い国の誰かのために。」学ぶはずだった開発学、でも誰のために?

どんな言葉をはなし、どんな食べ物を食べて、どんな暮らしをしているのか。また、その暮らしはどんな歴史があってつくられたものなのか。

相手のことを知らないで、「誰かのために」ただそれだけで、
開発を勉強することに対してものすごく嫌気がさしてしまった。なんだか気持ち悪くて仕方なかった。
もちろんその大学で出会った人たちは本当に優秀で、魅力爆発な人もたくさんいて、大学としてはきっとすごいところだったのでしょう。でも、それは私には合わなかったようです。

2つ目の大学の入学式で宗教学か何かの教授が話ていた言葉が今でも忘れられません。
「イスラム教とはこんなものだ。」と、想像だけで語るな。実際に国を超えて、文化を見に行きなさい。そこで出会った人々の顔を浮かべられて初めて、その文化の一部を知った事になる。
そんなようなことを言っていました。(多分)
純粋にその地の人々をリスペクトする。文化を、歴史に敬意を払う。
この大学全体のそんな姿勢が私は大好きでした。

1つ目の大学では入学式の時点から、ここが嫌いだとひどく感じていたのですが、2つ目の大学では入学式の時からここにきてよかったと思わされました。きっと、偏差値で言ったら2つ目の大学の方がずっとよくない。社会的に地位もない。だけど、そのほうがずっと、ずっと私には心地よくて、これから生きる上でもここで学んだことを心の中でとても大事にするんだろうなと思っています。

話が大分それました。

大学を途中で変えた私ですが、それでもなお「開発の世界」への憧れは消し切れませんでした。今年度も序盤はそちら方面でのキャリアを構築することばかりを考えていました。
だけど、結局それは憧れというか見栄でしかなかったのかも。
どう考えても自分には向いていない。
向いているかどうかこれ以上考えるパワーもない。
もっとシンプルに生きたい。
何よりもオフィスに一日中閉じ込められて、ずっと画面とにらめっこしている日々はもういや。大げさに言えば、Let it goな気分。

次の仕事は自分が何が好きか、どうなりたいかで選んだというより、
自分が耐えられないものを全部排除した仕事であるだろうと踏んで、そうでなかったとしてもそのさきに目指す仕事の仕方ができるような職種だろうと思って選びました。

次の職場でどんなに嫌なことがあっても、
どうしてその道を選んだのかしっかりと自信を持っていられるように、
この先どう生きたいのか見失わないようにするために書いた
LOCKDOWN何日目かのnote

THE END


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