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やっちゃダメにこそ宝が眠るってはなし。

子供達はしょっちゅう「やっちゃダメ」を言われ続けているようだ。

危ない壁に腰掛ける。
公園の花で占いをしまくる。
食べれもしない量の食事を確保する。
周囲を見ないで道路に飛び出す。

毎日が大冒険なのだ。

大人は一般的に危ないことや人に迷惑をかけてしまう行為には「やっちゃダメ」と伝える。

勿論、命の危険を感じるような行動には注意が必要だけれど、気付かぬうちにその規制の範囲は拡がってしまう。

動機は「段取りが進まない」「自分が恥ずかしい」「躾が出来ていないと思われる」
そんな風に姿や形を変えて、いつの間にか規制の枠組みが侵食されてしまうようだ。

たいがい人間は自己否定される事で怒りの感情が湧き起こる。
怒りに占領された心はありとあらゆる手を使い自己を正当化していく。
だから問題の原因が何なのかに盲目になる。

このループは人間が長らく経済成長と社会性をアップデートするに連れて強化されてきた。
現代社会で発生する多くの社会問題の原因はここにあると思う。

抑圧からの解放。と言うよりは幼いうちに抑圧されずに失敗する体験が必要だ。

大人はこの不のループから元に戻るために、この枠を超えないといけない。
善悪、良し悪しの二元論ではこの方程式に解は出せない。

正義と悪。それ自体が混沌としているのだろう。
元々人間は自然の一部であるのだから曖昧さと調和、共感の渦に漂う他ない気がしています。

僕は父だが、近所のおっさん位の心持ちを努めようと不器用ながら父の責任で日々戒めることにしてみた。

大人こそ無言の「やっちゃダメ」に抑圧されてるのかも。
ということを思い出すようなお悩み相談を受けた動画が下記リンクからご覧になれます。
是非ご覧になってみてください。
https://youtu.be/ysXCbGNdBa4

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