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84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十五

次女は進学に失敗して社会人になりましたが、学校から解放されて水を得た魚のように好き放題に暮らし始めました。帝塚山の「菊一堂」というパンとケーキのお店が私たちの近所にオープンして、レストランもあって、そのお店の早朝勤務はモーニング付というチラシに釣られて、早朝のアルバイトをはじめ、6~9時は菊一堂で働きながら朝食もいただき、それが終わると週に4回千里丘の毎日放送に行き、週に2回難波の近くにある耳鼻科の受付をして、風邪を引いたらちゃっかりお薬をもらい、日曜・祝日はコンサート会場でのチラシ配りや楽屋周りのお手伝い、結婚式での巫女、エレクトーンのレッスンなどでびっしり埋まっていました。そして休みの日には遠距離恋愛中の彼に会いに行くので、ほとんど家に居ません。

そんな中、突然毎日放送をやめると言い出したのです。やしきたかじんという聞いたこともない歌手が会社をつくるので、そこに入ることになったと聞いたときは、さすがに、私たちの知らない世界、しかも聞いたことのない芸能人に騙されているのではないかと心配になり、色々話を聞きだそうとすると、次女はめんどくさいというので、夫がやしきさんに会うことになりました。それから数日後、夫が若い頃から長く通っていた千日前の一半というお寿司屋さんに、次女がやしきさんを連れていきました。なんと、やしきさんは岸和田出身で、やしきさんのお父さんの会社もよく知っていて、あっという間に二人は意気投合。「あれはエエ男や!」と、具体的なことは全く分かりませんでしたが、夜中まで飲んでご機嫌で帰ってきました。それから私も北新地のクラブでやしきさんとご一緒させていただきましたし、うちの近所のお寿司屋さんにもお兄さんと来てくださり、長男に至ってはまだ中学3年生でやしきさんに会ってしまい、「お前、高校まだ決めてないんやったら、ピン校に行け!俺の母校や」といわれて、桃山学院(桃なのでピンク高校、略して「ピン校」と呼ばれていました)にきめてしまいました。何が何やら訳が分からないまま、次女のペースに巻き込まれましたが、今から思えば面白い体験でしたね。一半のご主人はカウンターで夫と次女とたかじんさんが楽しそうに飲んでいるのを見て、二人が結婚すると思っていたそうですよ。次女に聞くと「なんでやねん」って笑っていましたけど。

ところがそれもほんの2年で次は自分で会社をつくると言い出します。そもそも毎日放送に行ったのも、やしきさんの事務所に行ったのも、小学校時代からあこがれていた佐藤良子さんとお仕事をするためで、今度は彼女と会社を作るのだと。とにかくいつも次女には驚かされることばかりでしたが、止めても無駄でしょうし、2番目は変わっている子が多いと聞いていたので、今度は放っておきました。

その頃、小学生たちは学習塾に通うようになり、珠算塾の生徒がだんだん減ってきました。

新築で建てた家も20年が経ち、100人近い子供たちが毎日出入りしていたこともあって、傷みも出て来たし、もう少し静かなところで、お庭で花でも育てたいなーと老後の生活をイメージし始め、自宅から歩いて10分くらいの閑静な住宅街をよく散歩するようになりました。そんな時、おせっかいな知人から、夫のよからぬ噂を聞いたのです。そういえば、最近なんとなく様子がおかしいとは感じていました。お互いに忙しかったし、結婚当初からほとんど家にはいませんでしたので、暮らし的には変わらないのですが、不思議なものでそういうことには第六感が働きます。まあ、そういうことはそれまでにも何度かありましたが、今回はまずいなと、私の心に危険信号が点滅し始めました。とはいえ、基本的にはもめごとは好きではありません。夫を問い詰めたところで、嘘で繕うか、言い訳をするか、逆切れするか、いずれにしても楽しいことではないし、私にとって何も良いことはありません。頭を冷やすため散歩に出ました。

すると… 神様のお告げがありました✨

閑静な住宅街に中古ではありますが、売りに出している一軒家があったのです。広いお庭があって、私がイメージしていた老後を過ごすためにぴったりの家でした。夫がもしも浮気をしていたとして、一番困るのはその人にお金をつぎ込まれること。それだけは阻止しなければ!と、その家を迷わず、購入しました♪夫には事後承諾していただきました。長女のかわいい孫たちが楽しそうに遊ぶ庭があって、お正月には会社の人たちや子供の家族たちがにぎやかに集まって、長男に尊敬されるような立派なお父さんのいる家が必要ですよ、大変だけどもう少し頑張って働いて、ローンを払ってくださいねと。斯くして、私の夢は叶いました(^^)v

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