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ミライのコミュニティ

まずは自己紹介

 はじめましての方は初めまして、そうでない方はまたお会い出来て嬉しいです。愛とお酒のしがないVtuberみぃとぅです!
 今回は「2030年家族のカタチ」というお題を頂いたので、私なりにちょっと考えてみました。
 みなさんはどうでしょう?10年後の家族ってどんな形をしてると思います?そもそも家族の必要性ってなんなんだろう…。

家族ってなんで必要なんだろう?

 家族とは血の繋がりである。人はなぜこの血の繋がりを大事にするのだろう。理由は至って簡単である。人は赤ん坊のころから成長期を終えるまで、家族の庇護下になければ生きていけないからだ。
 人は社会性を持つ群体の生き物であり、その中で生きていけるようになるまでには十数年といった相応の時間と手間が掛かる。その一大プロジェクトを行う最小の単位が家族なのだ。この最小単位がなければ人は種の繁栄をなし得ない。
 つまりこの「家族」という単位は、そう簡単には変わらないことを示唆している。10年やそこいらで、人はこの呪縛から放たれないのだ。

血の呪いからの脱却

 しかし我々は精神的にその呪いから脱しようとしている。遠く広く果てしなかった世界はデジタルネットワークにより、あっという間に矮小化した。そして縮まった世界の中で人の価値観は多様化していく。
 種の繁栄を至上命題としない価値基準。種の存続ではなく、個人の充足に重きを置くという価値観。ヒトはそれに気づいたのだ。
 子を成すことが何よりも重要だという古い価値観は淘汰され始める。同性同士の家族があっても良い。子供がいない夫婦がいても良い。血の繋がりはないが一緒に住んでいる人を家族と呼んでも良い。そう、ヒトは自由になったのだ。

肉体と精神

 ヒトは血を紡ぐべきという精神的な呪縛から解き放たれつつある。しかし精神体だけで暮らせるようになるのはまだまだ先であろう。
 肉体と精神の結びつきは強い。そしてその主従関係の主を担うのは肉体である。いくら精神が自由でも肉体がそうでなければ精神はそれに引きづられる。
 2030年、その主従関係を覆すことは出来ないと私は思っている。しかし、ヒトの価値観はより多様性を持ち、より自由を謳っているはずだ。
 肉体的な活動を一定水準で行いながら、精神的な充足を最大限謳歌する人たちがそこに居るはずだ。

ありとあらゆる可能性

 ヒトは多様性に満ちた価値観を持った。しかし孤独には耐えられない。独りで完結し、生きていくのは不可能だからだ。根源的にヒトはヒトと繋がっていたいという欲求がある。そしてその欲求は捨てられない。つまり精神的な充足を求めるということは、心地の良いコミュニティを求めるということに他ならない。
 そしてそのコミュニティの最小単位が、2030年における家族なのだろう。リアルでもよい、バーチャルでもよい、異性間でも同性間でもよい、年の差も貧富も関係ない、ただそこにいて、一緒にいて心地よいと思える関係。ありとあらゆる価値観の中、無限の可能性に満ちた小さなコミュニティ。

私の考える2030年家族のカタチ

 心地よい小さなコミュニティ、それが2030年の家族のカタチ。そしてその心地よさには、ゆるさが必須だと私は考えている。
 共同意識、共通目標、一緒にいなくてはいけないという義務感。それらを持ち出すと息苦しく、コミュニティは長続きしない。
 何かを与えたいと思うが、見返りは求めない。ただ何かをしてあげたいという気持ちにさせてくれる人達と、どんな形であれ一緒にいること。それこそがミライにおける理想の家族なのではないだろうか。
 別に今からだって早すぎるということはない。家族と呼べるような人たちを探してみるのだって悪くない。

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