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底辺から立て直す人の話3

前回はダラダラと小学生くらいの自分の自我の芽生えくらいまでを書きました。また続きをたらたら書いてきます。

書き忘れてたけど、小学校は今でいう絵に書いたようなイジメをされてた。本人らがどんな気持ちでやってたかはわからないけど。カバンを数人分もたされてた。小学校と言えど数人分あつまると重たいんだよね。

でも後々は大人になったのか皆仲良かったんだよね。イジメられてるとも思ってなかった。悪ノリくらいに思ってた。良い気はしなかったけどね。そんなのでへこたれはしなかった。イジメられて仲間外れにされてるメンバー集めて遊んだりしてたら「お前はなんでそっちのグループにいるんだ。どっちの味方なんだ」とも言われた。「どっちの味方につく気もないし、どっちも選びはしない。居たい時に居たい方といる」というと数人から標的にされた。多感な時期だからグループ意識強かったんだろうね。その時から変わらないのは「自分に害がない人、嫌な事しない人は周りが嫌ってても別に支障ない」って考え方かな。「友達が嫌いだから、私も嫌い僕も嫌い」ってのが1番嫌いだった。もちろん今も。

中学くらいになると周りは彼氏彼女ができ始めて、好きな人が居ない、付き合ってる人が居ない=ゲイかレズって言われるようになり。自分はバレたくなかったんだよねその時は。親にバレるのが1番怖かった。次に弟達が虐められないかが怖かった。どっちにしろバレたくなかった。

バレない為にした行動は、好きでもない人を好きだと言い。好きでもない人と付き合う事。ヤらないで別れるとまた疑われるのでヤる事もヤる。バレたくないのと、頭の片隅にはヤれば自分は女の子として目覚めるのかもしれないって期待もあった。まあ、そんなわけもなく。嫌悪感しかなかった。御付き合いも楽しくなかった。その時は好きな女の子も居なく、剣道とバスケと筋トレにのめり込んでたから恋愛はどうでもよかったんだよね。

中学でも好きな人ができたけど女の子だから言えるわけもなく。周りに相談できるわけもなく。好きでもない人を好きだと偽った偽の恋バナをしてその場をしのいでた。偽る事に必死で中学の思い出もほぼない。記憶もない。何をしていたんだろうか。とりあえず頭が悪い事しか覚えてない。

頭が悪いために地元の定員割れの高校に入学。うちの高校はコース選択ができて、就職コースと進学コースでわかれる。それに加えて入試の段階で普通科と酪農科が選べる。俺は普通科の就職コース。本当は理美容に進みたかったんだけどそれを親に伝えると「下の弟に進学させるから進学は諦めろ」「男が優先だ」とのこと。しかたないか。じゃあ就職コースで行くから免許はほしいと伝えると「男が免許なかったらどうにもならない。免許も弟に取らせるから諦めろ」お前は直ぐに社会にでて自力でなんとかしろ。とのこと。ここでも出てくる「姉なんだから弟を優先しろ」「弟が可哀想と思わないのか」もう何も言わなかった。小さい時から大きくなるまでも全て諦めて全て飲み込んで全て我慢するのは姉の役目。1番上だからね。もうなんとも思わなくなった。考えるだけ無駄だと思った。

俺がこんなにもすんなり聞き入れられて、すんなり諦めれるようになったのには理由がある。中学の時、両親が夜中に言い合いをしていた。父が母に「離婚してくれ」と言ってた。それを聞いて日頃のストレスもあり「ああ。この家族はもうダメだ。」と、思ったら涙がでてきた。泣いてる自分に気づき部屋に来た母が俺に言った言葉は「んでお前が泣くんだ。お前なんか産まなければよかった」ドラマでしか聞かなさそうなセリフだよね。今となれば母は「そんな事言うはずがない。デタラメだ」と言っている。言う方は忘れる。言われた方は忘れない。

高校の時の親戚の話を聞いててわかったのは両親はデキ婚だった事。デキ婚で結婚する原因になったのは俺の存在のせいって事。だから「産まなければよかった」って言葉がでてきたんだろうね。俺を産まなければ結婚する事もなかったろうしね。だから尚更に、弟達が可愛かったんだろうね。

産まなければよかった」その言葉を貰った時から、自分の血の気が冷めていくのを体感して、気持ちが冷めはじめた。親に何も伝えなくなった。予定を入れても門限が厳しくて行けないから、基本部活の時間の報告だけ。世間話はしない。体調が悪くても言わなくなった。体調が悪くなると「なんでお前の病院代にこんなに金払わなきゃいけないんだ」と言われるからうんざりだった。それからご飯を食べると吐き気がするようになって、ご飯を食べてもこっそりバレないように吐き出すようになった。今の過食嘔吐の始まりだね。中学から32歳になる今でもほぼ毎日する日課になってる。

時系列入れ替わっちゃったけど、そんな経緯もあって親の言う事に対して「YESマン」になってた俺は免許も諦め、進学も諦めた。一人暮らしなんかできるわけもなく。実家から通えるバイトで通ってた店で使ってもらって働き始めた。そこで御局様のイジメにあい、勝手にシフトを替えられ無断欠勤扱いをされ、仕事も教えて貰えず、仕事にならないのでやめた。もう1つバイトで行ってた同級生の親の経営する焼肉店で使ってもらいそこで金をためた。

連休に「札幌の友達の所に遊びに行く」と言って遠出をした。そしてそのまま札幌に住んだ。完全に逃亡だ。家はもちろんないので幼なじみの家と後輩の家をてんてんとお邪魔して、寮付きの仕事を探して部屋を借りた。住所を確保出来たのでそこから寮ではなく自分名義で部屋を借りれるとこまでいった。

しかし、体調を壊し動けなくなって仕事に行くこともできず。連絡する体力もなく、親に連絡が行き強制送還される事に。ここで出てくるのが「体調が悪くても言ってはいけない」の呪縛。声を発することも体を起こす事もできなくなっていた。ご飯も食べれるわけもなく。もう疲れちゃったからこのまま消えてしまってもいいなとも思っていた。が、しかし強制送還。また地元に戻る。

地元に戻っても実家に居れるわけもなく、隣町の知り合いの家に遊びに行くといってそのままその町に住む。2度目の逃亡。知り合いの家にかくまってもらい地元から車で30分程度のとこでまた生活を始める。

時系列がぐちゃぐちゃなうえに、ダラダラと長文で申し訳ない。とりあえず一旦ここまで。




底辺系FtMです。世の中には俺みたいな底辺中の底辺がいるよってのを認知してもらって「こんなやつでも足掻けるんだな。自分もやる気ちょっとだしてみよ」と、人生の踏み出すきっかけに。投げだしそうになってる人生の考え直すきっかけになれたらなと思います。