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底辺から立て直す人の話2

まずは31年間住んでた北海道の話から。

31年間の話を上手くまとめてサクッと伝えれるかがもう俺からしたら無謀な挑戦なのですが。自分の記録としても使おうと思うのでダラダラ書いていきます。まずはFTMに気づいた時のお話

小学校で1番印象に残ってるのは「真っ赤なズボンを履きたくなくて、泣いてて教室に入れなかった」事かな。

その時に自分が女の子として生きていけない事に気づいた。

それまでは比較的男女仲の良い学年だったので、遊ぶのも一緒にいるのも男女混合で違和感なく過ごしてて気づかなかった。友達家でのお泊まりも男女混合でしてたし、男女関係なく親同士も子ども同士も仲良くて壁がなかったんだよね。

でも、自分自身の事になるとそれはまったく通用しなくて。ジャージをメインで着てて、履いてもジーパン。そこまでは抵抗なく着れてた。流行りで「カラーパンツ」と「ブーツカット」が出回り初めて一気に行きづらくなった。ブーツカットは今はベルボトムって言われてるのかな?パンタロン?

親もあたりまえの事だけど、女の子だと思ってるからそーゆーのを着せたがって買ってきた。朝から嫌だと駄々をこねた。今はとても批判されるけど、今で言う体罰レベルの躾は普通な家だった。もちろん朝からぶっ叩かれる。「嫌なら着るな。二度と服を買わない。着ないなら肌で学校に行け」と言われて泣きながら登校。でもその服で教室に入るのが嫌で教室に入れず誰も通らない廊下まで移動してひたすら泣く。先生に確保され教室に連れてかれる。けど、そこからの記憶は全く思い出せない。そこまでは鮮明に覚えてるんだけど。記憶がない

ただただ「恥ずかしい」って感情と、これを履いてかなきゃ行けない「屈辱」にも似た感情だったのは覚えてる。意識してなかったんだけどこの日から「女の子の服を着たくない」って感情が主張するようになった。

それまでパーマかけて腰までのスーパーロングだった髪も剣道を習い始めたのを理由に、ばっさりショートにした。剣道の道着も防具も女の子は白道着に赤防具ってイメージでそれを着させられてた。泣いた。基本泣いた。後々「武道家として紺がカッコイイ」ってイメージを親に付けさせて全て紺にした。

女の子の服を余りにも買ってくるので「女の子の服を着たくない」と、親に伝えると「1番に男を産んだ覚えはない」と門前払い。こんこんと説教タイム。俺は下に2人弟が居ます。一姫二太郎です。

ここは、親は悪くないんだと思える。あの時代だから尚更。俺自身もFTMなんて言葉しらなかったし。性同一性障害なんて言葉もしらなかった。俺が変なのかなって思ってるだけだった。なんで男の子の格好しちゃだめなの?なんでピンクじゃないとダメなの?なんで髪が長くなきゃだめなの?もちろん理由もわかるわけなく。

成長して行けばもちろん好きな子もできる。思春期ですね。好きになったのはもちろん女の子。その時に気づいた「自分、変かも??!」周りに言えるわけも無く。皆に合わせるために好きでもない人を好きと言い、話を合わせてるうちに告白しろとなり、告白する。まあ、こんな男っぽい口調で、格好も女の子らしくないし、ガサツで木登りしてドロ遊びして、6時に登校して毎朝ドッチボールで汗だくになってる奴をOKするわけなくフラれる。でもフラれて安心した自分もいた。

今の親御さんは知識も豊富で、受け止めれる人も増えたから子どもが性の違和感を感じてるのを察してあげれて受け止めてあげれる人が多いと思う。でも全員が全員じゃないし、全員がシグナルを出せるわけでもない。俺みたいに怒られるかも。とか考える子もいると思う。気持ちをオープンに伝えれる環境ってとても大事だなって思う。

俺は1番上の長女♡だったわけで。「姉なんだから我慢しろ」に加えて「お前の意見は聞いてない」って言われてたから今でも自己表現は苦手だ。弟が俺のせいにして俺が怒られて「自分じゃない!」と、反論しても「姉なら弟をかばえ。お前が黙って怒られてればこの問題は終わるのに。お前には優しさがない」とまで言われた。姉なんだから全てにおいて黙ってろ。って事だね。そのおかげで、こうやってあった事は話せても、今このタイミングで感じてる感情を伝える事ができない。「つらいよ」「くるしいよ」「さみしいよ」「かなしいよ」こーゆー感情を伝えられない。感情を伝える事は悪い事と制御されてきたのが今でも影響してると思う。

どんな形でもいいから、子どもの気持ちを感情を聞いてあげて欲しいと思う。「お姉ちゃんだから、お兄ちゃんだから」って言わないであげてほしい。お姉ちゃんだよ。お兄ちゃんだよ。でも、お姉ちゃんにもお兄ちゃんにも感情あるし、言い分もある。その言葉の産物がこの、自分の中に引きこもる腐った心のインドアおじさんです。

悪い事したら怒るのは当たり前。手を上げるのも本当に悪い事したなら過度でなければ拳骨くらいいいと俺は思う。そーやって生きてきたからね。うちは過度だけど。でも、叱る前に言い訳だろうと屁理屈だろうと話をまず聞いてあげて欲しい。まず、口から感情を出させてあげてほしい。そしてその言葉から何かを汲み取ってあげてほしい。意見を言える環境を、気持ちを言える環境をつくってあげてほしい。心が腐る前に。自分の中に引きこもる前に。人に壁を作る前に。心を開かなくなる前に。物理的じゃなくてもいいから、心を心で抱きしめてあげてほしい。

でも、こうやって書いてるうちに思うのはちゃんと対話する家庭が増えてるんだよな。っていう事実があることが嬉しくもあり羨ましくも思う。時代の変化って素晴らしい。

小さい頃の躾、教育なんて成人すればそんなの関係なしに生きてくだろ。って思う人もいるだろうけど。そうでもない。生きてはいける。でも、人格がつくられるのは親の元に居る時。それがベースになる。明るくとも、根はどう思ってるかもわからない。悩んでるかも。言えないだけかも。もしかしたら感情が本当はなくて笑ってみせてるだけかも。見た目じゃ中身もわからないし、もちろん深いとこなんてわかるわけもない。

小さい頃の家族の関係性は大人になるまでも、なってからも大事な要素。俺みたいな人が1人でも減りますように

長すぎるのでここでぶち切りしますね。笑



底辺系FtMです。世の中には俺みたいな底辺中の底辺がいるよってのを認知してもらって「こんなやつでも足掻けるんだな。自分もやる気ちょっとだしてみよ」と、人生の踏み出すきっかけに。投げだしそうになってる人生の考え直すきっかけになれたらなと思います。