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北国とHIPHOPの親和性

普段の生活リズムは、もう若い頃からずっと夜型だ。

子供の頃からHIPHOPにハマり、高校2年の頃にはダンサーを志し、上京しキャリアを積み、そして33歳で北海道 斜里町に戻った。もう戻って9回目の冬である。

そんな若い頃から、冬になると必ず毎年脳裏に焼き付いたイメージがフラッシュバックする。

今朝もそのイメージがフラッシュバックした。ある条件が重なると必ず思い出す、高校時代の何気ない登校中のほんの一瞬の記憶というのか、イメージ。

二月のこの時期は、海には流氷が押し寄せ、海一面を覆い、大きな大陸のようになる。さらにその日が晴天になる見込みの朝というのは、流氷により大陸化された海と放射冷却の影響でマイナス20度になる日も珍しくない。マイナス20度ともなれば、川からは「けあらし」(川や海の水面と気温差で湯気のように霧立つ現象)で木々などにその水蒸気が付着して凍り、白い産毛が生えたような風景が広がる、朝6時半頃には太陽が顔を出し、それらを照らし徐々に溶かしていくのだが、その凍てついた草木が溶けていく瞬間のキラキラした情景はいつ見てもため息が出る美しさだ。朝のその瞬間にしか見ることができない正に瞬間美だ。

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HIPHOPにどハマりしていた高校生の頃、朝はダウンジャケットを着込み、ニットキャップを耳を丸ごと覆うくらい深く被りその上に耳当てがわりのヘッドフォンをして、好きなHIPHOPの自作のカセットテープを何度もループして歩いて通学していた。

冷え込んだ朝と、寒さに耐える機能性を兼ね備えたファッションとヘッドフォンからはHIPHOPである。

当時はちょうど1995年、「好き」を詰め込んだテープに中身は、COMMON SENSEの「I USED TO LOVE HER」ATCQ「ELECTRIC RELAXATION」AZ「RATHER UNIQUE」だった。

通学中は、ほぼそのテープを何度もループして、頭の中に刷り込まれて未だにリフレインする。

今日、早朝に仕事から戻る車の中でもその条件が重なり、当時をフラッシュバックしリフレインする自分の冬の恒例になっている。


親和性の考察

このように、前回の記事に続く、ごく当たり前な多感な学生期のエモーショナルな瞬間の記憶だとは思うが、今でも自分のベーシックな価値観の源の一部であるのは間違いないのだ。

そこで、気になるのは、なぜ自分は上に紹介したような所謂「EAST COAST HIPHOP(東海岸生まれのHIPHOP)」にここまで傾倒しているのか?

慢性的な疑問を自分に抱いてることに気づく。

NY自体がHIPHOPカルチャーが生まれた街ではあるが、それだけでは説明に欠ける気がしていた。

当時は、特に地理も詳しいわけでもなく、ただただアメリカから輸入されてきたHIPHOPの12インチをマンハッタンレコードやCISCO(シスコ)からFAXで通販をしていた頃で、まだHIPHOPシーンにまつわるイーストコースト・ウエストコーストの背景やサウンドの違いも気にしていない状態。

にも関わらず、結果いつもチョイスしていたのはイーストコーストラップだったのが不思議だった。

当時は実家の営む電気店で設置されていた衛星放送で”MTV”(当時はまだ日本のプログラムが充実していなく、ほとんどがアメリカ本土のものを垂れ流していた)にチャンネルを合わせ、よく見ていたが、どちらかというと90年代初頭からのHIPHOPシーンは西を代表するドクター・ドレーやスヌープ・ドギー・ドッグの人気がとにかくすごくて、とにかくド派手なプロモーションと勢いは完全に流れは西向きだったと思う。

ここで、ダンスとの繋がりになるのだが、当時東京でカリスマ的人気を誇っていた”OYAJI & GENTLEMAN(通称:オヤジェン)や、大阪で開催されていた老舗ダンスコンテストイベント”DANCE DELIGHT”などのビデオでダンス研究に勤しんでいて、その全国大会でのゲストショーで来日していたNYのストリートダンスオリジネーターのカリーフやピーター・ポール、そしてエリート・フォースの存在、日本でカルト的爆裂ストリートヒットになった非売品の又貸しVHSで見る”ALIVE TV 〜WRECKIN' SHOP FROM BROOKLYN〜”(米ケーブルTVで放映されたブルックリンの若者文化を追ったドキュメンタリー番組を誰かがエアチェックし誰かが日本に持ち込んだVHS)でのMOP TOP CREWたちのダンスはもちろん、立ち振る舞いやファッション。そして選曲に強く影響を受けていた。

先で触れたMTVで流れるミュージックビデオで、視覚的に見るファッションとダンスビデオでのファッションに近いもの、それにまつわる音楽を自然と好んでいたのかなと思う。

その時代のアーティストで比較すると、

例えばNASなんかは、当時日本ではTVドラマ”北の国から”の主人公”黒板五郎”しかまず被りこなせなかったであろう”与作感”満載な短いバイザー付きのニットキャップを、カラバリ含めて見事に被りこなすw (ジープキャップ)

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対して、西のアイコンといえば2PACだが(厳密には彼はNYハーレム出身、後に西を代表するギャングスタなレーベル「DEATH ROW Records」と契約したことで西のカラーを身にまとった)スタイルとしては、オーセンティックな白のタンクトップに、見せびらかすが如くの全身に入ったタトゥー、バンダナの結び目を逆にし、額の上で結ぶスタイルが有名だった。


比較してわかると思うが、NASのMVには実生活をそのまま写すかのような「普段=STREET LIFE」を感じることができる一方、2PACのMVではスケールが大きくド派手な演出、エンタメ性が強調された作りになっている。

ほぼ同時期にこれを見ていた自分としては、精神的距離感として、より感情移入しやすいNASのリアリティーさに心を奪われていったのだろう。また、デビューしたての不完全体でこれからが期待できるという点においても、若かりし多感な自分とオーバーラップさせていたのではないかと推測する。

これらの考察で、自分がどのような経緯でイーストコーストHIPHOPに傾倒していったかは、ある程度まとまりがついたように思う。

そして、何より精神的距離感としてのHIPHOPは、自分が育った北海道という地域の気候が、同じく寒い冬を毎年迎えるニューヨークやシカゴ・フィラデルフィアなどのアメリカ大陸北東部のアティテュードが自分の置かれた実情とオーバーラップすると考察して間違いないかと思う。

自分の仲間には、湘南生まれで同じ年のマイメンがいる、彼は二十歳頃からの仲だが、出会った頃から垣根なく西も東も聞いていた、やはり湘南・横浜のベイエリア出身だけあり、ヤシの木やソテツなどが道路沿いに立ち並ぶ南国的情景とTシャツにハーパン、カーステで流す音楽はウェッサイ(西海岸HIPHOP)が断然似合うと言っていたのも妙に納得した思い出がある。

そう言った体験や考察を経て、今の自分のポジショニングが絞られていき、目指すべき方向性を定めてHIPHOPのキャリアを深めていった。

その感覚は今でも変わらず、自身が経営しているJUICErecordsのイメージカラーも知る人ぞ知るニューヨークカラーなのだ(ブルー×オレンジの組み合わせで、NBAのKNICKS・MLBのMETSが伝統的に採用してる特色カラー)


これからも、MY SOUL TOWNであるニューヨークとまつわる東海岸のエリアを、さらに東へ遠く離れたFAR EAST of FAR EAST(極東の国の最極東)である知床からイーストコースト愛を保ち、発信していきたいと思う。


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