忘れる。
大学3年のときだったと思う。講義の終わりに、教授が「来週はゲストが来ます」といった。毎回、課題文として英語で書かれた小説の一節が与えられ、学生たちはそれを次の授業までに和訳してくる。訳文のうち出来のよいものを取り上げて吟味し、反対に出来の悪いものには赤字を入れていくようなスタイルの講義だったと記憶しているが、誰のどのような作品を読んだかは、ほとんどおぼえていない。
教授は翻訳家として名の通った人物で、私がその大学に進学した理由のいくらかを占めていた。だから毎年、講義が期末に差し掛かる頃、ゲストがやって来ることは前もって知っていた。前年だか前々年には村上春樹が来たらしい、ということも。たしかその前後には、文学部の企画で大江健三郎の講演会も催されていたような気がする。そのような背景から、自然とゲストへの期待は高まっていた。
はたして翌週、ゲストとして教室に現れたのは、岸本佐知子さんだった。今でこそ指折りの翻訳家として、英米小説をはじめとする海外文学の目利きとして、またエッセイストとしてひろく活動されているが、当時はそこまで知られていなかったのではないかと思う。事実、あの頃までに彼女が翻訳した作品をWikipediaで調べてみると、それほど点数は多くない――多くはないが、スティーブン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』やトム・ジョーンズ『拳闘士の休息』など、大学卒業後の私が益体もない会社員生活のあいだに読んではめまいをおぼえることになる傑作をすでに手掛けていたらしい。
ところが当時の私は、いずれの作品も読んでいなかった。失礼ながら、岸本さんという翻訳家の存在すら知らなかった。ゲストとしてやって来た岸本さんが講義のなかでどんな話をしていたか、なにひとつおぼえていない。岸本さんに興味がなかったから、というわけではない。大江健三郎が講演会でなにをしゃべったのか、講演のテーマがなんだったのかすらおぼえていないのだから。要するに私は、とにかく不勉強で忘れっぽい学生だったわけだ。
岸本さんはその後も精力的にさまざまの作品を翻訳されている。リヴィア・デイヴィスやミランダ・ジュライなどの現代的な作家による小説、ショーン・タンの絵本に加え、ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』が本屋大賞の海外小説部門で第2位に選ばれたことは記憶に新しい。また、エッセイストとしても受賞歴をもち、軽妙洒脱の書きぶりで知られている。
『死ぬまでに行きたい海』は、岸本さんが昨年末に刊行したエッセイ集である。件の翻訳講義を担当していた教授が大学を退官後、主宰している文芸誌があり、そこでの連載記事がまとめられたものである。あるいはとるに足らない記憶の数々が、22篇、おさめられている。この本の性格は、次のような文章によって表象される。
この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。「丹波篠山」
一読して名文だと思った。わずか数行のうちに、本をつらぬく感傷や淋しさが結晶している。じっさい、この文章は本の腰帯にも引用されている。書店で偶然、この帯文に目が留まった人の心に響く文言として選び出されたに違いない。私もそのひとりであった。しかし、私がこの文からしばらく目をそらすことができなかったのは最近、身をもってある人物の退場を経験したばかりだったからかもしれなかった。
8年間応援していたアイドルが芸能界引退を発表したのは、5月半ばのことだった。正直、寝耳に水、というわけではなかった。かつて所属したアイドルグループは3年前に解散し、それからというもの活動の中心はほぼ、毎週水曜日に行われるゲーム配信のみであり、リアルタイムの視聴者数は40人にも満たなかった。引退発表の3日後には最後の生配信があり、最後のTwitterの更新があり、そして彼女はいなくなった。どこにも。
発表からずっと、なにか書かなきゃ、という義務感だけがあった。義務感はあったが、書くべきことも、書く能力も、書く材料も、書きたいという意志もすべて私には欠けていた。日がな一日、横になってはスマホを触り、8年間のあいだに撮りためた写真や動画を無目的に眺めていた。8年という歳月は、振り返るにしてもあまりにも長い。
そうこうしているうちに7月、スマホの電源が入らなくなった。まあ、しばらく時間おいて冷やせば大丈夫やろ、くらいの認識だった。が、数時間経っても、何度電源ボタンを長押ししても反応がない。翌日、あわてて修理業者に駆け込んだ。電池を入れ替えたりしても復帰できない。店員の若い男が、本体ごと買い替えないといけないですね、バックアップはとってありますか、と訊いた。当然、バックアップなど一度もとっていない。
この時点で私に残された選択肢は2つ。1つ、旧スマホ内のデータはあきらめ、新しいスマホを買いなおす。2つ、修理業者にデータのサルベージが可能かどうかを検証してもらう。後者の場合、データが復旧できた場合は成功報酬として4万円、できなかった場合でも5千円の費用がかかるという話だった。
4万円は払おうと思えば払えるが、思い切りが必要なくらいには高額だ。人質にとられた思い出に支払う身代金としては絶妙な値段設定だ、と感心した。1冊数千円することも珍しくない海外の翻訳小説が20冊買える。握手券つきのCDなら40枚、チェキ券なら10枚買える――もはや握手したいとも一緒に写真を撮りたいと思う人も私にはないが。それに4万円もあれば、新しいスマホを買う足しにすることだってできる。データが復旧されるにせよされないにせよ、新しいスマホは購入しなければならないのだ。
問題は、すでにアイドルを辞め、芸能界を引退した人物の写真や動画に4万円の価値があるかということだった。そこに映っているのはもはや、元アイドルの一般人でしかない。はたからみれば無駄金でしかないだろう。しかし私にとっては、思い出をたどるアリアドネの糸にひとしい。二度とは戻らないあの頃を思い返し、感傷にひたるよすがでもあった。
そもそもバックアップをとっていなかったのは、消えて困るようなデータはスマホにひとつもない、と考えていたからだった。しかし、じっさいこの状況におかれてみると、消えて困るようなデータしかなかった。先述の写真や動画のなかには、特典会などの機会に私が撮影し、私のスマホのなかにしか存在しないものが含まれていた。Twitterやブログをさかのぼれば拾えるものもあるだろうが、8年分ともなると、何時間かかるかわからない。
データのサルベージを依頼して、私は修理店をあとにした。4万円を払ってもいい程度には、未練があったということだ。結局、私は過去にしか生きられない人間だった。過去は私にとって、過ぎ去ってすらいなかった。神さまかだれかになにかを試されているような気もした。
数日後、業者からメールが届いた。データは回収不可能ということだった。検証費用の5千円だけを支払い、二重三重に裏切られたような後味の悪さと、自分で自分という人間の底を見てしまった後悔だけが残った。
「いつまでも忘れないよ」などと、自己憐憫と陶酔に濡れた唇から嘯くのはやたすい。しかし、私たちは忘れる。あたりまえに忘れる。スマホのデータが飛ぶのと同じように忘れる。いや、スマホより私たちのほうがよほど確実に、よほど残酷に忘れる。
忘れる。すべて忘れる。
はじめてのライブ、はじめての握手、はじめての会話を忘れる。
最後のライブ、最後の握手、最後の会話を忘れる。
はじめて名前を呼んでくれたときのことも忘れる。
アイドルになったばかりの頃は全然だったのに、いつか他のメンバーについていけるようになったダンスを忘れる。
ひとりだけ浅い御辞儀の角度を忘れる。
極端に短いソロパートを忘れる。
たまに呼ばれるイベントのために撮りためておいた野良猫の写真のことを忘れる。
夏、日差しの強い屋外で眩しそうに手をかざす仕草を忘れる。
お気に入りのグレーの格子柄ワンピースの肩ひもをなおす仕草を忘れる。
いつかの誕生日に贈ったワンピースのことも忘れる、それを着て写真を上げてくれたことも忘れる。
次の誕生日に贈ろうと、お気に入り登録しておいたワンピースのブランド名も忘れる。
いつどこで撮影しても同じピースで写っているチェキの山を忘れる。
握手券目当てで買った、大量の同じCDの山を忘れる。
そのほとんどを引っ越しに乗じて処分したことも忘れる。
顧客が求めるものなど絶えて発売されたことのない物販を忘れる。
扇子、クロックス、ビーチサンダル、「敬虔」と書かれたサングラス、意味不明なシチュエーションで撮影された生写真、決して普段使いできない奇抜なデザインのTシャツ、メンバーの全身がプリントされた等身大タオル、「目指せ武道館!」と書かれたハチマキ、ダンボールの底で眠ったままの、もうすでに思い出せない有象無象のグッズたちを忘れる。
毎年恒例だった炎天下のフェスを忘れる、芝生に降り注いだサイリウムの雨を忘れる、夕暮れどきの屋上ステージの涼風を忘れる。
再入場できないクソみたいなフェスを忘れる、クソみたいなフェスの選抜メンバーになぜか選ばれていちばん大きなステージに立たされていたことを忘れる、後日、「もう二度とやりたくない」と言っていたことを忘れる、ふたりで笑ったことを忘れる。
さまざまのラジオの公開収録や送りつけたメールのことを忘れる。
ほかで聞いたこともない配信アプリを通じて視聴した、もうどこにもアーカイブされていない無数の動画を忘れる。
アイドルファンのあいだでさえ話題にならなかった、テレ東深夜の冠番組を忘れる。
もう二度と会うことのない人たちのことを忘れる。
しょっちゅう顔を会わせていた都内のオタク、地方にいかないと会えないオタクを忘れる。
目標としていた武道館ライブが決まったあと、わざと終電をのがした夜中、皆で鶯谷から武道館まで歩いたことを忘れる。
結成4周年を祝うために、軍手にマジックで記された数字の4を忘れる。
グループのマネージャー、所属レコード会社の社員、握手会のはがし役の顔を忘れる。
ライブ後の楽しみだった飲み会を忘れる。
行きつけの安居酒屋の向こうが透けて見えそうなくらい薄っぺらいニラ玉、衣で口を切りそうなハムカツ、やたらと濃いレモンサワー、工業用アルコールじみた味わいのハイボール(190円)を忘れる。
不格好なマグナムボトルに詰められたサイゼリヤの安いワイン、付け合せのアラビアータ(ダブル)も忘れる。
雪舞うさなか外で整列させられた札幌のライブハウスを忘れる。
たった30分のイベントのため、仙台まで往復鈍行列車で行った熱意を忘れる。
はじめての夜行バスで降り立った、金沢の街の早朝の空の低さを忘れる。
六日町のだだっ広いイオンの駐車場の奥から聞こえてきたリハーサルの遠い響きを忘れる。
すり鉢状になった東武動物公園のステージのことを、後方の座布団つきの座敷席のことを忘れる。
彼女の地元・川崎でのツアーファイナルを忘れる。
東京のすでに廃業した、あるいはもうすぐなくなるライブハウスを忘れる。
岐阜の寂れた商店街を抜けた先の箱で、ドリンクチケットを使って食べたかき氷の甘ったるさを忘れる。
四日市のライブ前に入った餃子屋で、なぜか卓に埋め込まれていた麻雀牌のことを忘れる。
たとえ平日であっても、午後休暇と新幹線を使えば夜のライブに間に合う名古屋のありがたさを忘れる。
1万人の署名を集めるために、皆で声を枯らしたイナズマロックフェスのことを忘れる。
鶴との対バン見たさに、平日昼間から集まり飲み食いした京都の居酒屋の小上がりを忘れる。
淡路島の悪夢じみたフェスと屋台での出来事を忘れる。
大阪のカプセルホテルの料金体系と横に狭すぎるロッカーを忘れる、一軒め酒場お初天神店のイカの天ぷらの味を忘れる、荒天の大阪城野外音楽堂を忘れる、
岡山県笠岡市立カブトガニ博物館を忘れる。
毎回毎回、降り立つたびに辟易する広島空港から市街地までの遠さを忘れる。
広島港から朝5時発のフェリーで松山港へ渡った意味不明な移動のことを忘れる。
北海道から大阪、大阪から高松へと1日おきに移動した、狂気じみたゴールデンウィークの遠征を忘れる。
「どうしたと、急に帰ってきて」と親に訊かれるのが面倒で、実家があるのにわざわざ泊まっていた中洲のカプセルホテルを忘れる。
長崎で食べたちゃんぽん、皿うどん、牛鍋を忘れる。
熊本から帰京する日曜20時の最終便を忘れる。
1月でも野外フェスが開催できる沖縄の気候と、海の水のぬるさを忘れる。
はじめての海外ライブのため、たった1時間のライブを見るためだけに1泊3日で強行したフランス遠征を忘れる、パリの濡れた石畳を忘れる、我が子のごとく胸に重火器を抱きかかえた警備兵のことを忘れる。
上海のコンビニで見つけた彼女と同じ名前のアルコール飲料を忘れる、蟹味噌入り小籠包の味を忘れる、市街地から郊外のホテルまでハイウェイを走ってくれたタクシーの運転手を忘れる。
幽霊が出そうなサンフランシスコのホテルの廊下を忘れる、SFMOMAでみたムンクの『柱時計とベッドの間の自画像』の不安げな色使いを忘れる、ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの自画像を忘れる、アルカトラズ島を見渡す澱んだ海にかかった白い霧を忘れる。
「文章のお仕事がもっと頂けますように。」と書かれた七夕の短冊を忘れる。
はじめて作詞した曲のことを忘れる。
ワンマンライブの来場者特典として書かれた短編小説を忘れる。
それをまとめた単行本が商業出版されたことを忘れる。
その本を読んで書かれた書評のことを忘れる。
その書評が掲載された雑誌を、わざわざ買ってくれたことも忘れる。
受け取ってもらえたチラシの枚数、無視された回数、1回分だけ余らせた青春18きっぷ、会社のテレビで見たしゃべくり007、ソーレすすきののカレーと唐揚げと焼きそばの朝食、鈴の鳴るような笑い声、近藤ようこ版「夜長姫と耳男」の漫画を気に入ってくれたこと、「夜長姫と耳男」の結末、すべて忘れる。
忘れる。
忘れるために忘れる。
忘れまいとして忘れる。
忘れるべくして忘れる
忘れたふりをする。
忘れたことも忘れる。
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