「九条いつき」とは何者か?或いはハイデガー的存在論への反駁 其ノ六

写真展『兆し、或いは魔の山にて』は伏線だった説。

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フッサールが提唱する意識の構造モデルはあくまで「思想」なので、信じるか信じないかはアナタ次第!なのですが、僕は二つの観点から面白いと思えます。

1つ目はそれが実際に体験していることなのか、バーチャルな体験なのかを測る目安になる点です。

たとえばの話、実体験の"充実"度が平均85%だとすると、写真を含む間接的な体験の"充実"度は平均40%くらいじゃないですか?そこの違いに気づかないことってあまり無いような気がします。

フッサール自身は「ノエマ」が完全に充実することは無いと断っているし、逆に漱石『文学論』では文学体験をかなり実体験よりで論じていました。ですが僕としては、真実はいつもひとつじゃないのと9割くらい信じています。生きていればもちろん、手品に騙されたり宇宙人が飛来したり大魔王に狙われたりすることの二つや三つはあるかも知れませんよ?ですが、あらゆる可能性をはらむ現実となんでもアリの夢とはそれでも完全に混同できないというか。

つまりこの観点からは「存在」の構造について、疑問を投げかけられますよね。

2つ目は、仮説が立ってから意味が充実するまでの「時間」という点です。

時間が経てばたつほどそれだけ「ノエマ」のヒントが得られるわけなので、仮に無限大に時間があれば完全な「ノエマ」を充実できるでしょうか?それとも過剰なヒントは次々に新たな「ノエマ」を生じさせてゲシュタルト崩壊を招く結果になりはしないでしょうか。それに時間があるということは意識の中に空間があるということでしょうか?アインシュタインが時間と空間をひとつにしたのではなかったのでしょうか。

言い換えると、意識の次元では時間量が直接的な問題ではなく、時間を通して得られる情報量の方が問題なのではないかと思えます。イントロ・ドンクイズで音階データは一瞬しか得られなくても、予め番組プロデューサーの好みがわかっていれば正解の曲を予想できるような。

この情報量によって観念をつくりだす話で思い出すのが、ビッグデータで学習させる人工知能・AIですよね。今フォトショップなんか凄いですから。最新の2021ver.だと一枚の風景写真からモノごとに切り分けて、一点一点丁寧に切り抜きができるそうです。カフェの写真から椅子やテーブル、壁のプライス表示を別で分けてくれるんですよ?つまりモノを認識して焦点を合わせることができるっていうことですよね。すごい(小学生並の感想)

おそらく背景には動画データの蓄積があるのだと予想します。いくら静止画を集めても、情報量が足りないので応用はできないのではないでしょうか。簡単な例でいうとカメラの顔認証ですよ。黒い点が2つ並ぶ特徴的な動きを検出して瞳と認識してレンズを動かして焦点をあてる(マスクで認証しないあたり口と合わせて3点というのがより正確かも知れません)。それはあらかじめ動画としてデータを蓄積しているからできることですよね。もし静止画データしかなかったら、黒い点が並んでいても機械がそれを検出できないか、とんでもない所に焦点をあてると思います。

話がつい脱線してしまいました。うちのハイデガーさんは山へ芝刈りにいった模様です。

つづく


※12/4 ちょっと修正

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