「九条いつき」とは何者か?或いはハイデガー的存在論への反駁 其ノ五

よくわからない現象でも、とりあえず活用できれば問題ない。僕達はキャラクターを認識すると同時に、創出してもいるという話でした。

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ところで念のためお伝えしておきますが、今回参考にしている『現象学入門』はキャラクター創出を説明している著作ではありません(キャラクターメイキングに興味のある方は「大塚英志」で検索するのを個人的にお勧めします)。

『現象学入門』で概説されているのは、創設者フッサールの現象学がハイデガーやメルロ=ポンティ、ジェームズ・J・ギブソンらを通して、生態心理学や身体性認知科学へと発展しているという内容です。分かりやすくいうと、今流行りの人工知能、AIの研究につながるという話。といっても、キャラクター・ドラえもんを創る話ではありません。人間の役に立つロボット、例えばiRobot社のお掃除ロボット・ルンバの話です。

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まずは大元のフッサールの現象学について。最も体系的に記述されているのは1913年に出版された『イデーン———純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想』(タイトルが長い)だそうです。だいぶ髪の長い人を想像します。きっと天然パーマに違いありません。

大きめの本屋に行くと巻数も長大になっている上記著作が売られているのですが、中身を読むのはそれこそ専門家に任せておいた方がよさそうです。なので孫引きになってしまうのですが、簡単にいうと、意識の次元と呼ぶべきものを「現象学的方法」で考察するという内容だそうです。

ちなみに「現象学的方法」とは、形相的還元と超越的還元の2種類があるとのこと。形相=エイドスはアリストテレス哲学で出てくる単語。超越はプラトン由来のイデアとすれば、要するにカント哲学をそのまま受け継ぎ、経験的な知覚とアプリオリな観念の生成についてそれぞれ別個により詳しく研究するということだと思われます。

ただ違うのは、観念を固定的な「イデア」とはしないことです。写真展『兆し、或いは魔の山にて』をご覧になった方であれば理解しやすいと思うのですが、観念は時とともに移ろいゆく可能性があります。フッサールはそれを名付けて「ノエマ(noema)」とし、意識の構造を以下のように分析します。

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まず意識の中で仮説として「ノエマ」が立ち現れる。例えばリュックを見て、これはリュックのように思えると考える。次にセンスデータの外観が志向された意味を充実します。つまり各部の観察によって得られるヒントから徐々にこれはリュックであると再認識します。

影絵になって出てきた物に対してスポットライトを当てていって正解を当てる、というようなイメージでしょうか。部分的なパースペクティブを射影(adumbration)する、と説明されています。

そしてもしスポットライトを当てている途中で仮説とは違うと判断した場合、例えばリュックだと思っていたものは夕陽の色だったのか?と考えるとリュックの「ノエマ」が爆発し、それは夕陽の色という「ノエマ」に書き換わるということが起きるのだ、といいます。

つづく

ハイデガーさんそろそろ痺れをきらすのでは?


※12/9 「ジェームズ・J・ギブソン」を追加...もとい、加筆訂正しました(ラーメンの具みたいな言い方になってしまった)


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