「九条いつき」とは何者か?或いはハイデガー的存在論への反駁 其ノ八

外部環境との応答が意識であり知性。ハイデガー的人工知能ではそれが可能なんですよ。

といってそこで登場したのはしかし、芝刈りどころか鬼ヶ島で軍事行動して帰ってくるサーバントのボストン・ダイナミクス社/ロボドッグ、アイ・ロボット社/(サ)ルンバ、アメリカ空軍自律型ドローン/スカイボーグ。そしてそれらを従えたマスター・ハイデガーさんが最強の鬼としてこちらにやってくるだったのでした。———ベイルアウトォ!!

いや確かに凄い。でも何故こうなってしまったのでしょうか?なんだろう...『ターミネーター』始めるのやめてもらってもいいですか?

この原因を考えるためには、やはり外部環境と意識の話、ハイデガー的存在論まで時を戻さないといけません。

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まずハイデガー的存在論をひとことで表すと、「成功哲学」だと思います。

ハイデガーは20世紀最高の哲学者とか、その著書『存在と時間』は最も難読の哲学書のひとつ(実際、僕のような素人が読んでもほぼ意味が分かりません)とか言われています。なので現実には影響を与えない象牙の塔の存在と一瞬思える。

しかしよく考えたらその哲学をベースに現実にロボットが働くくらいです。ジャンルは「思想」であっても、本当はビジネス書のようなかなり実践的な内容ですよね?なので始めそれがハイクラスの間でイズムとして消化されて、徐々に僕たちのところに届くようになっている。それこそシャンパンタワーのトリクルダウンのようにです。

そういう現状を踏まえて解説書をみると、なんとなく理解ができるようになっているのではないでしょうか。ここから先はかなり突っこんだ内容になりますので注意してください。じゃあいきますよ?

成功哲学者ハイデガーにとって外部環境とは、モノである。

ハイ、これだけで帝愛グループの利根川にエスポワールで叱咤されるカイジの気分が味わえますよね。味わえませんか?

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僕はwebサイト『METEOROSCAPE』でまず初めに写真の被写体を3つに分けて考えました。人・モノ・風景です。つまり「外部環境」にはその3種類あるのではないかと考えていたのです。

ところがハイデガーにとってはそうではない。ドイツ語でZeug=英語でstuff、つまりモノ、それが全て。ブツ撮り専門家です。Zeugは実際に道具として使われているものから将来道具として使われる可能性があるものまで全て含み、使用者が使用に没頭している状態を「道具存在」、我に返って理論的に意識してみる状態を「事物存在」として分けます。ですので「ブツと…あと風景もたまに撮るよ」といっているカメラマンです(断定)。

そんな馬鹿な、と思いますがよく考えてみると確かに人とモノを杓子定規に分けるのは案外難しい。例えば化粧品広告のモデル撮影。被写体は確かに人物なのですが、カメラマンとしては肌を美しく撮るのが仕事で、モノとしての肌として見ている。それとは逆に、モノであるモデルを撮影しているのにそれが生きて動いているキャラクターかのように撮る例もあって、たとえば趣味のガンダムプラモデル写真なんかがそれですね。

そこでしかしハイデガーは外部環境をモノで統一の方にbet、賭け金をかけます。なぜならその方が可能性に開かれるからです。ハイデガーが主張する外部環境、いわば「世界」は使用可能なモノとして開示されており、使用者が能動的に関与するか、逆に「世界」の方から誘因される受動的な関与、「情態性」をもった使用の2種類に分けられる。「現存在」とは"前認知的であり、技能的で身近で、情態的で、目的のある気遣いによって構成されている" *1 モノなのです。

そしてそれが僕がハイデガーの存在論は「成功哲学」だという論拠です。

つづく


*1 同じく『現象学入門』(勁草書房,2018)より引用

※12/7 ちょっと修正


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