「ジャッジしない」の補足②

肉体が先ではなく、そもそもが実存、霊があって物質、肉体がある。

言い換えれば精神が物質的な外部世界に影響力があるということ、分かりやすくは、他者の思考を想像し、そうに違いないと決定したとき(ジャッジしたとき)、その他者の有り様はジャッジ前と比べて変容する。

私達はそれだけ現実化力を持っている。霊・精神側から素粒子を介して、物質・表層側へプロジェクションし、他者や状況の在り様に影響し変容させています。

(実際の見た目や人格を歪めている可能性も高く、究極には社会という多人数によるジャッジで強く歪められ、重複的に合成され変容されたものが妖怪や怪物、現代社会では犯罪者などを産出している可能性もある。さらに言えば変容を行っている自分自身の人格・性質ですら、物質を原初と信仰する誤ったゲシュタルトから立ち上がってしまっている相当なイマジナリー存在でもある我々による、さらにネガティブなジャッジという妄想バイアスによる合成が加わるわけだから、想像が乗算的に加わって変容された本来のスガタからど遠いクリーチャー度存在への成らしめが起きている)

このインターセルフ(inter-self)「間人間」とも言える各個が現代における他者であり、自身も同様に他者から変容されておるはずで、その集まりが私たち人間である。


(「人間」という言葉に「間;inter-」が含まれているのはその変容させている間=アイダも大きな要素となっているという古来人による高次情報の埋込であると考えられる)その「アイダ」を取り、人間→人になるためには? そう、そのジャッジを相手に適用しないこと、「そう考えてるに違いない」「そういう人物のはずだ」といった決断をしないだけのことである。

このように「間人間」という他者間合成変容存在となっている私たちは、繰り返しにもなるがお互いの勝手な想像が加味されており、言わば本来居なかった架空の存在、人格、個体である。
いち早くの霊主導世界の到来を確実にさせたい我々挑戦者は、この「赦し」による偽物の他者から本来の各人への開放、霊的再生が第一のミッションと思われる。


罪はある個人や組織、さらには社会構造や国家などにあるのではなく、そうさせてしまっている根本、つまり我々全員が根底で共有し言わば暗黙に信仰している「物質至上主義」や「功利優先主義」などのイデアが問題源なのであって、咎めるべき対象はその大元の肉体存在であるという自己認識体系、ヌーソロジーで言う人間型ゲシュタルトであり、それに変わる霊・精神・魂を初源とする本来の真なる認識、主客一致、見ているものと見られているものの分離がない意識状態を生み出せる認識体系(ヌーソロジーでいう「変換人ゲシュタルト」)を理論習熟➕日常実践により、一人でも多い規模でのマスアセンションとして目覚めていくことが唯一の解決方法と考え、これを目指したいとします。

自分が望む平和なk地球、世界の救済方法:
(相手の考えを考えず)ジャッジしない だけ!

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