「ジャッジする」がとにかく良くない事である更なる説明
ジャッジすることが、量子レベルで世界を悪化させている説明をしてきたが、逆の立場になって考えてみてもシンプルにその悪さを理解できると思う。
街で何か些細なこと、多少生々しいが例えばスーパーで半額になった物を多めにカゴに入れレジ待ちしてる時に、後ろの人から明らかに蔑んだ目で見られたり、仕事場で何かポカをして同僚から白い目を浴びさせられるシーンなどでもそうだが、人からジャッジされることというのはレベルは違えど単純に不快で腹立たしいことであることは皆さんも同じだと思う。
このように、マイナスの評価、判断を相手に下すことはシンプルに怒りや不快感をその相手に増大させ、その相手の感情に怒りに着火させる「霊的な放火」のような行いであると、逆にジャッジされた立場に立つと分かると思う。
その他者を媒介として世界に毒(怒りのバイブレーション)を注ぎ込んでいる行為でもあり、世界、この地球をより良くして行きたいと切に願う私達挑戦者は、とにかくジャッジメントを放棄すべきなんだということが明確にお分かりいただけてきたのではないかと思う。
欧米などに行ったことがある人は分かると思うが、あっちはナショナリティやクラスなどで明確に住むエリアや教育、職種などからそもそも的に分離しており、それぞれの民族性やその歴史、宗教観などお互いに把握しているため、既にラベル付けされたお互い同士の「頭の中」の判断、ジャッジが共通認識的に存在しており、その拭いようのないような強固なジャッジによる憤り感、言い換えれば「精神世界における怒りの放火」の繰り返しまくりが起きていることとなるわけで、それがウクライナ戦争など常に争いなどが絶えない元凶のひとつとも考えられるわけである。
🛑HALT!:ここでそういった分断社会の彼らの社会を「そういう歪んだ精神性の持ち主なのだ」のようなジャッジを下してはいけないのはお忘れなく。
(ちなみに海外に行った際、相手が「何を考えてるか分からない」という体験をしたことがあると思う。
私達日本人は彼ら間の歴史やその共通認識を深くは把握していないため、結果、ジャッジするという行為自体が起こらないため、旅行中なんか心が軽くなるという現象が起きるわけである。このようにジャッジしない生活は、心の平和ももたらすメリットもある訳である☮️)
次回あたりより、具体的な「ジャッジの回避術」のようなテクニックについて言及していきたいと思う。
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