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アンコールを生きてる——ヨルシカ『エイミー』

演奏会のアンコールが好きだ。

それも、とびっきり明るくて楽しいやつ。
吹奏楽をやってた人に手っ取り早く伝えるなら、「『宝島』みたいな曲」。

(それがお約束であるとしても)アンコール、と呼ぶ客席の手拍子の高揚感ももちろん好きなんだけど、それより何より、「もう終わる」ことを誰もが知りながら、馬鹿みたいに明るい音で笑って叫んで息を吐き切るその様が、どうしようもなく好きなのだ。

何なら、「アンコール」でなくてもいい。それが最後なら。
最終楽章でガンガンに盛り上がる交響曲も最高だし、一人で複数曲弾くなら最後には底抜けに明るい曲を持ってきたい。

どう抗ったって終わる。
でも、だから、体力が尽きるぐらい歌いたいし、無駄にハイトーン鳴らしたいし、無駄に音を詰め込みたい。

*

ヨルシカの2nd full album《エルマ》より第12曲『エイミー』。

そのサビは「人生全部が馬鹿みたい」と歌う。だけど、その1拍半前から強い力で次に向かおうとする長めのアウフタクト、「さぁ」が空気を押し上げてくれることも相まって、その歌詞に悲観するような素振りは微塵もない

初めの3音(人|生|全)、四分音符3つはこのメロディの最高音で、重きを置いてひとつずつ惜しみたい。惜しみたいけど、止まらない音には逆らわず、あくまで拍分だけ置いていく。

前に進めば進むほど、終わっちゃうのに。


さぁもういいかい、この歌で最後だから
何も言わないままでも
人生なんて終わるものなのさ
いいから歌え、もう

何回目かのサビ。

「もういいかい」と呼びかける間、さっきまでいた安定したドラムやベースの音が消え、一瞬怯みそうになる。

だけど「この歌で最後だから」でみんなして四分音符で確かめるように戻ってきて、そこには最後である覚悟みたいなものを勝手に見る。

その四分音符はやっぱり3つ確実に置くと、半拍の空白を作ってガッと食うように全力で鳴らしてくれる。そこからはもう最強で、直後のタンバリンの合いの手にも押されて、もう思い切ったように歌う「人生なんて終わるものなのさ いいから歌え、もう」と、そのあとにもう一度出てくる「人生全部が馬鹿みたい」がどうにも楽しそうで、たまらなく好きだ。


終わりがあるから美しいとか、夜は明けるとか、そういうものはどうでもいい。
終わるから今全力で歌う。それだけでもう何よりも強い。
だってそれは、最高で最強なアンコールだから。


*

朝、あと一駅で会社の最寄り駅に着く頃、イヤホンからは大抵その歌が流れてくる。

別に、会社に行きたくないとか、何か特別嫌なことがあるわけじゃない。

だけど、「まあ、人生全部が馬鹿みたいだしな」と内心小さく笑って電車を降りて、今日もアンコールを生きている。

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