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選択と集中に組織の色が出る【470/500】

11月も最終週となりました。株式会社はこの亀谷です。

いきなり寒くなりましたが、引っ越しのときに物を捨てすぎて着るものがありません。。。

寒くて凍えそうですT T

さて、本日は「選択と集中に組織の色が出る」というテーマで書いておきます。

民主主義国家の凋落が嘆かれるなか、まぁ、結局はこうだよねぇ。

とWeekly Ochiaiを聞きながら朝ランニングしていて思ったのでした。

お時間ある方はご覧ください。

夢や理想を語ることは誰にでも出来る。

国家でも社会でも会社でも何でも良いのですが、こうあったら良いなぁという理想を語ることは誰にでも出来ます。

最近、仕事関係で言えば、働く場所を自由にしたいとか、結果を出せばよいじゃないかとか、個人の視野でのこうあれば良いじゃないは誰でも言えます。

みんなの理想をまとめていけば、そりゃ理想郷を思い描くことも出来るでしょう。

ただ、理想は理想に過ぎなくて、世の中に実装されなければ意味がありません。

個人の目線での理想の集合体は、現実に置き換える際に既に動いているシステムとの調整が必要になるため、その理想の全てをエイヤーで実装することはできません。

既に走っている集団を変えるためには、全ての理想を叶えることは出来ないという前提のもとで、リーダーによる取捨選択が必要になってきます。

どこを目指してどの順番で何を実装するか

本来、リーダーが集団の未来を明確に描き、その理想に対して下からあがってきた要望の中の実装すべきものを取捨選択して実装するというのがあるべき姿だと思います。

しかし日本の民主主義の場合、ここで弊害が出てくるのですが、本来リーダーが決めるべきものを残念ながら政治家が覚悟を決めて決められません。

次の選挙で票を失うことが怖い政治家は、国家としての重要度よりも民衆の“声の量”や“声の大きさ”に反応します。(※政治家だけではないですけどね^^;)

向かうべき未来よりも個人レベルで起きている目の前の問題に対しての対応を優先していくと、本来やるべき社会としての重要な課題が後回しにされ、本質からズレていきます。

その結果、目先の問題を解決できたように見えても、少し長い時間で見ると悲しいかな、社会全体が方向を誤り、全員で不幸な未来を迎えることになってしまうのです。

自由を叫んで実装された民主主義が衆愚政治に落ちてしまうのはなんとも悲しいことですが、歴史的にも起きている事実ですし、そもそも資本主義と合うはずのない民主主義を形だけ社会実装していること自体、調整の必要があるでしょう。

国は変えられないから、自分が出来ることを考える

12月になり、評価面談の時期となりました。

株式会社はこではまだ人数が少ないため、毎回全員と面談を行っています。

全員と来年、もっとその先の未来に対してどうあるべきかという話をしていると、現場からはいろいろな会社に対しての要望が上がってきます。

ここで私は、自分のこうありたいをしっかり説明した上で、上がってくる要望を取捨選択し、何故何を採用して、何故何を採用しなかったのかを個別に説明しなくてはなりません。

会社の仲間から「要望を上げてもどうせ検討されないから無駄だ」とみなされると、要望自体が上がってこなくなるので、上がってきた要望は必ず検討する。そして検討した上でどう処理したかを説明することまでが上司の役割かなぁと思っています。

その中には一般的な今の働き方の流行とは相違しているものもあるのですが、そこは思想の問題なので、より良い組織運営を目指すのであれば、理由を説明した上でその思想に共感できない場合は、他の社会に移ってもらい、自社の選択と集中に対して共感できる人だけを残していくしかありません。

国全体を変えることは出来ないかと思いますが、各企業のリーダーがリーダーシップを発揮して、共感できる人を集め、各組織レベルであるべき姿を模索する。そして働く人はどの組織に属するかは、自分で決められる。

そういう意味で人材を流動化させて、会社としての多様性を実現していくことが出来れば、多少は今の日本も良くなるのではないでしょうか?

私も社内に対して目的を明確にして、何を選び、何に集中するかを決めて説明し続けることで、組織の色を明確にし、良い意味で他社との差別化がはかっていきたいと思います。

それでは皆様、良い週末を!

現在、母とのコラボ企画を行わせていただいております。サポートいただいたものに関しましては、全て実家の母の創作支援費用として利用させていただこうと思っております。何かお礼できることがあれば考えますので、お気軽にご相談ください。いつもありがとうございます! かめ