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不意打ち再読:『D.Gray-man』

ひなーのが雑談兼カラオケで、熱に浮かされたように急に語っていたので、読んでみた。比較的真面目に読んでいた頃もあったような記憶。こんな機会がなければもう読むこともなかったと思う。ティキ・ミック(特に初登場時)、たしかに色気のあるキャラクターデザイン。

ある程度の巻数までは読んでいて、そこから先は知らなかったが、知らなかった部分は長大な引き延ばしに入ったところだったので、実質だいたいの話は知っていたことになる。

※以下ネタバレ注意

最新刊まで読んだ素朴な印象。異常なペースでの連載(週刊連載を指す)という特性上仕方ないことなのかもしれないけれど、あとから単行本で読むと、まぁ「バトルシーン」が長い。そして、絵は綺麗なのだけど単調だ。。。

① 対峙する
②-1 鍔迫り合い
②-2 横から撃たれる(刺される)
③ なんか煙が立ち込める
 →③-A 攻撃を防いでいる
 →③-B 斃れている
④ 絶望的戦力差!
 →④-A 敵はトドメを刺さずに帰るぜ!
 →④-B 新キャラが介入して助かるぜ!
 →④-C 新しい能力が覚醒して助かるぜ!

というループなのだ。まぁ、抽象化したらだいたいほとんどの「バトル」がこんな感じなのかもしれないが、なんというか、特に後半この一連の流れ一つ一つが妙に長くて苦痛だった。このループだからつらいというより、絵面の味が変わらない感じが合わんのかな。作画MADだけ見せられても、それを面白いアニメとは言わない、みたいなことなのかもしれない。

ずっと「バトル」していても『ワールドトリガー』シリーズとかは面白く読めている気がするし、不思議だ。

改めて読むと、背景をせっかくキリスト教19世紀にしているのに、それらの面白い要素をほとんど使えていなくて勿体なく思えた。両者ともトンでもない文化、事件、思想、制度、人物…等々いくらでもあるのだけど、十字架とアレイスター・クロウリーと路上サーカスだけじゃ。あるいは、1巻冒頭の「仮想19世紀」が文字通りの意味だから背景や小物が薄味なのか?それとも『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』みたいなものを基準に考えてはいけない??

ストーリー面というか、設定とキャラクターが横にスライドしていくその仕方に強烈な既視感があって、ああ、これはキングダムハーツシリーズだなと思い至る。主人公が文字通り二重性を(実は)帯びたキャラクターでしたとあとから開示されたり、敵対者としての13機関が(実は)単なる敵対者ではないどころか、寧ろ…みたいなやつとか。何かありそうで、特に裏側はないよというところも似ている気がする。

余談だが、「キングダムハーツ相関図」で検索すると曼荼羅みたいな画像がたくさん出てきて面白い。

ニーナをキメラにしそうな顔のアポクリフォス(≒イノセンスへの疑義)が出てきたところから、(これ以上ひっくり返さないなら)物語の着地点はクリアに見えているので、この話が進まないならそれは引き延ばしでしかない…とは思うのだけど、きっとこれはキャラクターに思い入れがあるかどうかで変わるに違いない。キャラクターの方に思い入れがある人にとって、物語の大筋や背景は、キャラクター同士の衝突や葛藤に奉仕するための素材でしかないので、それの進行速度に大して興味はないだろう。アレン - マナ - ネア の過去編の長大な尺も、作者がまさにその需要に応えている?のかもしれない。

とはいえ、「早く完結してくれ」の声がマイノリティというわけでもなさそうだけど。。。


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