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"人間食べ食べカエル"リクエスト第一弾『リベリオン』観てきた。

たまたま企画についての投稿に気がつけたので、予約開始時間ぴったりにブラウザリロードしてなんとかチケットを取れた。2分完売だそうで、下手したらvaultroomとか(特定の)フィギュアの予約よりシビアだったかも。久しぶりにヒリヒリした。

劇場では初見。仮に公開当時観られるチャンスがあったとしても、2003年だと自分から『マトリックス』が抜けきっていなくて、素直に観られなかったような気もする。

上映会の感想と、「ガン=カタ」という偉大すぎる発明以外の点での、『リベリオン』の所感を記録しておきたい。


企画について

キネマ旬報の方が、filmarksの特集上映きっかけで人間食べ食べカエル氏と知り合ったことで実現したとのこと。「人間食べ食べカエル氏の要望(ワガママ)を叶える」という企画趣旨なので、予定されている第3弾まで、および候補に上がっていた作品も節操がないラインナップなんだとか(素晴らしい)。他候補として挙がっていた作品もみんな映画館で観たいので、企画続いてほしいなぁ。

候補作の中には上映権がバカ高いものもちらほらあって、『リベリオン』もそのひとつだったらしい。あの言い方だと、おそらく、満席でも赤字だったのでは…単体ではなくて、企画全体での利益を見込んでいるのだろうか。

『リベリオン』は「午前10時の映画祭」みたいな上映の仕方よりも短期間の「応援上映」とか「特集上映」とか向きな気はするので、今回の爆発力をテコに、再上映とか4k Blu-rayの販売とかに繋がって欲しい。

ポスター

上映権取得にあたって、今回は本国版のポスタービジュアルが送られてきたらしく、「-反逆者-」のサブタイトルは外してシンプルになっている。とのことだったけど、元の方にも「-反逆者-」の文字は見当たらない。DVD出す時に付けたものなのか?

当時版の、クリスチャン・ベールの背中に乗った赤文字の「俺が世界を覆す!」がいかにもダメそうで味わい深い。もうあと一歩でも手元が狂ったら、青い箇所を緑にしそうな勢いもある。

本国版のポスターは、主人公の新たな相棒ことアンドリュー・ブラントが一番手前に来ていて、これはこれで面白い。アイツ、明らかに薬キメてないのに、誰にも何も言われないのはなんだったんだ(あの世界で、野心なんて抱いちゃいけない最たるものだろうに)。

左:公開当時版
右:今回企画用

寧ろポスターの色味で言えば『マトリックス』よりジェット・リーの『ザ・ワン』を思い出す。

物語について

※以下ネタバレあり

一応のあらすじ

第3次世界大戦後、生き残った指導者たちは戦争勃発の要因となる人間のあらゆる感情を抑止させるべく、精神に作用する薬を開発。これを国民に毎日投薬し、徹底した管理国家体制を敷いた。そして反乱者は、クラリック(聖職者)の称号を持つプレストンを中心とした警察に、厳しく処罰されるのだった。銃を用いた武道ガン=カタの達人でもあるプレストンは、冷徹に任務を遂行する非情の殺人マシーン。しかしある日、封じていたはずの感情に目覚めたプレストンは、国家に疑いを抱くようになる……。

https://www.kinejun.com/cinema/story/34126

物語そのもの

今回はじめて、この映画の物語そのものにちゃんと?向き合って鑑賞した気がする。過去に鑑賞した際はやっぱりサビの部分(=「ガン=カタ」)ばかりに集中していて物語は二の次三の次って感じになってしまっていた。それでいけないわけではないのだけど。

「まぁ概ね『マトリックス』的(世界観も衣装も)な物語だよな」という認識だったのだが、よく考えれば主人公ネオが物語のラストで”覚醒”する『マトリックス』に対して、最初からレベルがカンストしているプレストンを主人公にした『リベリオン』はベクトルも構成も結構違っている。

『マトリックス』(1作目)の核を成す「この現実は本物なのか?」という不安や、「認識(思い込み)を超えて超常的なチカラを得る」みたいなテーマとか要素は『リベリオン』にはない。『リベリオン』の舞台となる都市国家リブリア(凄い名前だ)に敷かれた独裁と専制政治体制は自明だし、プレストンは最強のクレリックに物語開始時点で既に上り詰めている体制のエージェントだ。

では『リベリオン』の物語の核は何かというと、「喪った感情を取り戻す」ことで、作中でも繰り返し、主人公が直接問われる場面が出てくる(ヒロインのメアリーは、ある意味そのためだけに存在している)。そんなことは、別に家で観ていても当然わかることなのだが、自分はこれまではドラマ部分で圧倒的に集中を欠いていたため、「理解はしていても気に留めていない」状態だった。だから、オチに対しても今までは「それでいいのかよ」と思っていたのだが、主軸が「喪った感情を取り戻す」ことだと分かって観ると、ラスボス:デュポンをさっさとぶっ殺すのも、別に管理社会やその元凶となった戦争の問題が特に解決しないことも、問題ないし筋が通っている。主人公がちゃんと怒りを発露できた(その結果としてみんな殺した)のだから。最大の山場は嘘発見器の針が振り切れるところだった。

これは多分『マトリックス』に似せた何か(であることは間違いないのだが)だと思っておざなりに観ていたからわからなかったのであって、本作は寧ろ無感覚を怒りと暴力で食い破る映画、つまり『ファイト・クラブ』なのだ。ガン=カタやクレリックの服装も、ある意味目眩ましになってしまっている…

演出

主人公が「喪った感情を取り戻す」という軸で考えれば、冒頭から最後まで演出はかなり一貫している。「違反者」になってしまう同僚、逮捕/処刑された妻との最後の場面、子供たちとのやりとり、「感情を殺しきって」潜入している地下活動家、激情をぶつけてくるヒロイン。彼らはみな、主人公を段階的に目覚めさせる。「最後に主人公が覚醒する」という点では『マトリックス』と同じだが、『マトリックス』(1作目)が外向きに覚醒する(世界そのものを理解して操れるようになる)のに対して、『リベリオン』は内向きに覚醒する(感情を取り戻して発露できるようになる)ので真逆の終わり方だとも言える。この辺りは、最後に爆発して「勝った雰囲気」で終わるからより解りにくくなっている気もした。

物語に沿った演出に失敗しているなと思ったのは、「ファーザー」周り。冒頭の演説や常に彼の説教が流れていることで支配度合いは示されているものの、登場頻度が少ないため、「実はもう死んでいました!」と出されきても「まぁそうなんでしょうね」という感想しか沸かず。デュポンが冒頭の演説の聴衆として映るユルゲンくらいの存在感であれば、もう少しインパクトはあったかもしれない。とはいえ、この辺のディストピア描写はある意味どうでもよかったのかもしれない。

監督

「ガン=カタに触れると長くなりすぎるので(そりゃそうだ)」ということで、上映後トークショーでは、加藤よしき氏が『リベリオン』の監督であるカート・ウィマー(脚本家なので主に脚本)の特徴で挙げていたのが、「巨大なシステムに卓越したチカラを持つ個人が立ち向かっていく」は納得というか、まぁそうなんだろうなという感じだったけど、「ラスボスの命乞いがおよそ許されるはずのない無理筋」というのは笑った。確かに『リベリオン』のデュポンも「それ通ると思って言ってるのか?」みたいな命乞いするけど、その点に注目して観たことなかったから、『ウルトラヴァイオレット』とか『フェイク シティ ある男のルール 』を見直してみるのもありか。

なにより、楽しみにしているジェイソン・ステイサムの新作『ザ・ビーキーパー』の脚本がカート・ウィマーなので、この命乞いが観られるのか楽しみだ。


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