落ち着くということ
「落ち着け。おちつけ。」
そういう言葉は、最近あまり使わなくなってきたけど、周囲の人とか自分が落ちつているかどうかと言われると、そういうことでもないように思える。
なんていうか、「落ち着くことがいいことだよね。」という価値観が衰退してきているのかもしれない。
でも、急ぎ、急くことが価値なのかというと、そういうことでもないように思える。どういうことなのか。じぶんでもわかっていない。
ただ、「君はもっと落ち着いたほうがいいよ。」と。そう思える友人はいる。
なんか、落ち着くってどういうことなのか。
きちんと考えていない人が多くいるように感じている。なんていうか、落ち着くって、もっと根源的というか、心と頭と身体のもちようとして、よりベーシックと言うか、そういう位置にある概念なのかなと思っている。
なにも考えていないとかじゃなくて、のめり込んている思考とか精神とか心とか、身体とかを、一度直立させる。そういう行いというか姿勢が、落ち着くということなのでは。悠然と立ち構えているような、そういう状態。
すべてのものに対して、動じず、あるがままに受け容れる。自分の狭量なこころのあり方を笑い飛ばすような。そういうあり方。
生き方って、人それぞれだけど、人それぞれなものに正解なんてないよね。人は何で比べているんだと。比べることの浅はかと愚かさと、虚無さ。そういうものを受け入れたうえで、笑う。
そういうあり方。
笑うというのは、笑いではなくてもいいんだけど、心は穏やかで、ポジティブなそういうあり方であるという。そういう状態。瞑想とか、そういう営みが良いんだろうなぁとか。
なんていうか、心や身体がせいていると、頭も自然とせわしなくなってしまうものなんで、自分一人で、ゆったりと穏やかな心にいるように努力するって、努力自体が力の入ってしまうものでもあるし、大変。
なにかに、没頭することと、落ち着くということも、似ている、似て非なるものな気がしていて、そこの関係性についても解せていけたらとか思う。
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