私とコロナと陰キャズム
自分の思い出を語ります。
私の大学生活
大学入学
偏差値40の非進学校から宅浪をして入学した私は、遂に東京大学に入学することができました。そこは想像していたよりもずっと優秀で聡明な人たちが集まっていました。テレビの中にしかなかった雲の上の東京大学に自分が所属しているという実感が湧かないままに、大学生活が始まりました。
周りには超進学校出身の学生が多く、銀杏並木を共に歩けば、友人の友人に必ず会いました。しかし自分には高校からの知り合いなど一人もおらず、多少の劣等感を抱いていました。周りの人はみな自分より優秀であり、場違いな自分の愚かさが、いつかバレてしまうのではないかと恐れていました。
一年目に、友人と2人だけの読書会を開催しました。せっかく東大に来たのだから、最低限の教養を身に着けようという趣旨でした。その中で『カラマーゾフの兄弟』の読後感想戦で、彼は「この場面にお前がいたらどう感じてた?」等、一つ一つの場面を丁寧に振り返り議論していました。その理由を問うと「体験は自分事にしたうえで、ちゃんと言語化して咀嚼しないと経験に昇華できない。経験化していない体験は意味がない」とのことでした。自分は体験を言語化することで経験化するという概念化や言語化をしておらず、彼の内省力・言語化力に脱帽しました。こういう出逢いが、自分にとっての大学の価値でした。
駒場時代には、学生団体の立上げに没頭していました。毎日駒場の近所の、今はなきカフェLis Blanc (リスブラン)に通い詰め、入店後に注文もせずにコーヒーを注ぎ(大迷惑の客でした)、一日中カフェ左奥にあるコンセントを占拠し(大迷惑の客でした)、オムライスかチキンカレーを頼み、黙々と学生団体の作業や大学の課題に勤しみ、メンバーが来たら会議を行う。それが日常でした。なぜ潰れてしまったのでしょうか…濱田くん…
当時の大学生活は、東大を中心に回っていました。時間割アプリを入れて、時間通りに講堂に行く。暇な時には友人と渋谷や下北沢に繰り出し、3限以降の空きの時間を使って渋谷でアルバイトをしていました。毎日片道90分の通学時間を消費し、一日を駒場・渋谷を拠点として過ごしていました。当時からバイトを2つかけもちし、所属サークルでは3サークルで幹部を務め忙しない日常を送っていました。心の中で「自分は東大生なんだなぁ」という在りし日から見た違和感こそありましたが、立派に東大生をしておりました。
フルタイムでVCへ
進振りで経済学部に入り半年後、自分は休学の決意をしました。休学期間の半年間、私は以前出会ったVCにてフルタイムで働くことになりました。毎日朝9時頃に新宿に出勤し、20時頃に退社するという生活が始まりました。その時もサークル活動は続けていましたが、次第に自分は東大生であるという自覚よりも、ここのメンバーであるという自覚が強くなっていき、生活の拠点は駒場・渋谷から、新宿へと移っていきました。
そのVCはとても文化的特色の強い場所であり、投資先起業家も含めた文化圏の外では伝わらないような特殊な言葉・話し方を多用する文化でした。毎日出社し、その文化圏の人と接し、その文化の言葉で考えるようになり、自分が染まっていくのが分かりました。
復学。そしてコロナへ
2020年3月頃からコロナが始まり、一時的に講義は休止。復学以降、大学の講義はフルリモートになりました。正確には、通学時間が90分ということもあり、出席必須の講義を取らずにフルリモートを選択しました。
この頃、私は就職活動にも勤しみ、様々な就活イベントにリモートで参加し、並走してサークル活動やアルバイトにもリモートで出席するようになりました。私の拠点は家となったのです。希望の企業から内定をいただき、2021年3月には2つのバイトを増やし、内定者として1年間のパラダイスが始まってからも、依然私の拠点は家でした。最後の一年には、卒業論文の執筆と3つのバイトをかけもち、サークル活動に勤しむ傍ら、コロナ後から始めたジム通いにも精を出していました。
アルバイトの1つに、就活支援サービスがありました。22卒として就活をしていた私は、23卒や24卒の就活相談に乗ったり、GDのメンターをしたりしていました。学部生の24卒は、コロナが始まった直後に入学した世代です。この頃にはコロナの波の収束もあり、偶に対面でのGDイベントなども行われました。当時の私の目からみた時、24卒の学生は、どこか議論の迫力・深みに欠ける人が増えてきたように感じました。それは同期と話していても皆同じような感想を抱いていました。この時私は、コロナが奪っていったものを目にしたような気がしました。それは、陰キャでした。
大学生とコロナ時代
コロナの開始により、個人と組織は決断を強いられたと感じました。
組織は、所属する成員への配慮そして何より社会的な説明責任の必要性から、可能な限りの活動をリモート化することを強いられたと思います。自分のバイト先・大学等では明らかにそうでした。もちろん、原理的にリモート化ができない、費用対効果によりリモート化ができない等ありますが、当時の環境において「リモート化できるのにしない」という意思決定を組織体が行うことには相当の社会的逆風が吹いていたと思います。
個人には、2つの選択肢がありました。それは外出を「自粛する」「自粛しない」であり、言い換えると、コロナの罹患や拡大への寄与というリスクを提示されたときに「リスク以上に外出に価値を感じるか」という分水嶺です。神が「光あれ」と言われると、光が現れ、それ以降光と闇とが別れたように。コロナが現れてから、陽キャと陰キャとが顕在化したように感じています。
こうした社会の動きにより、そもそも集団が対面で会う機会が激減した中で、対面の機会に出現する陰キャ率が減少したという二重効果があったと考えています。
コロナによるリモート化は、集団の拠点の多様化、逆に言えば個人の拠点獲得を促進しました。大学生活を通して、私は駒場渋谷から新宿へと拠点を移しながら、場所とともに自己認識・帰属意識も移っていきました。リモートが当たり前になった最後の2年間は、帰属意識の軸は自分でした。「東大生である私」、「VCのメンバーである私」ではなく、「私がX,Y,Zに所属している」という感覚への変化です。それは精神の成熟により自己認識の軸が自分へと移ったという動きと連動しているため、コロナによるリモート化の影響力がどの程度かは評価できません。しかし、自宅の拠点化の影響は確かに、私の自己認識に影響を及ぼしていました。
一つ一つの体験が、自分が体験の中に入り込むのではなく、体験が自分に接触する、そういう体験感覚へと変化したということにもなります。組織体というのは虚構の線引に過ぎないのかも知れません。しかし、一つ一つの組織と、そこの帰属したという体験は、文化や成員のみならず場所に紐づいているのでしょう。その場所に包まれ、そこのメンバーに囲まれ、その文化に自分を浸す中でしか得られない体験、醸成されない帰属意識というのがある。そう感じています。
陰キャにとってコロナは順風でした。人と会わなくて良い。自分の時間を自由に使うことができる。人との交流を狭く選択的に行い、人と会うことを好まないあるいは人と交流する以上に自分の過ごす時間の地位が高い陰キャは、長い孤独が寄り添っています。長い孤独が生む、陰キャ特有の内省性・言語化力等の陰の性質。それは、一つ一つの体験へのささくれを反芻する、体験の経験化に通ずるものが在るのかも知れません。Withコロナの社会においては、陰に触れる人が少なくなっていたのかもしれないと思います。PCRでは陰性を求めても、本当の陰性は孤独の中でしか得られません。
コロナは社会から、対面の機会を奪っていました。確かな体験感覚を奪い、大学時代の私の自己認識に影響を与えました。
コロナは社会から、陰キャを奪っていきました。確かな内省力・言語化力のある人との出逢いの機会を奪っていきました。
外側の信念に強烈に熱狂・執着・没頭・没入し全身で体験に浴し、それを自分事に経験化した人間というのは、明らかに違う雰囲気を放つと感じています。
そんな陰キャが好きなのです。
あとがき
走り書いていたら途中から変な方向にハンドルが向いていきました。
こんな文章にお付き合いいただきありがとうございます。
また、こういう面白い企画に声を書けてくれた青木くんに感謝致します。
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
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また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
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