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「時間の多層性」について

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これは、本当に雑記です。とりとめもない思考です。

よく考えていたことは、「今日の自分は明日の自分とどう違うんだろう」。ということですね。「塵も積もれば山となる」という言葉はまさにそ通りなんですけど、「塵」と「山」という二項によって、始点と終点を定義されているだけで、その間の過程についてすっ飛ばされている感じがして、「塵がある程度積もったら 塵でも山でもない状態 になるよなぁ」なんて考えていました。

時間の多層性という概念

大学一年生のときに歴史の授業で、

「歴史には3つの時間が流れている。一つは速い時間、これは、政治や経済など、それぞれの時代に多様に変化していく。二つ目は中くらいの時間、これは、文化や生活など、人々に根付いているため政治や経済よりもゆっくり変化していく。そして最後が、遅い時間、これは地理的条件や自然環境、日本が昔から山ばかりだったっていう環境は、数千年でも殆ど変わっていない。」みたいなことを言われました。

「人間の時間の多層性」と「本当の自分」

そして、これは人間にも言えると感じます。人にも「ミクロ・メソ・マクロ」と、3つ以上の大量の時間が、多層性をもって同時に流れています

「今、現在」に集中してみると「あ、お腹へったなぁ」とか「外出自粛で運動してないなぁ」とか、そんなことを取り留めもなく考えている自分がいます。でも、一分後には、もしかしたら「Netflix観るか」ってなっているかもしれません。こんな自分も、生命のスケールで見ると、一日で約1兆個の細胞が代謝により入れ替わっています(1秒で1,000万個以上の細胞が変化していますね)。

そんな自分は、「今週どうしよう」っていう時間軸で物事を考えていたり、「今月お金ないなぁ」と考えていたり、「人生これまで約20年...今年をどう過ごしていこうか...」なんて考えていたり。言ってしまえば、「歴史的に見ると、パンデミックのサイクルが早くなってるなぁ」とか、色々な時間軸を以て思考しています。その思考自体も、それ自体が一瞬の思考というミクロな時間スケールの中での表象に過ぎないわけですが。


でも、「習慣」とか「文化」とか、「アイデンティティ」とか。これまでの人生で根強く自分の根幹に絡みついて、長い時間スケールを以て影響を与えてしまっている存在もいます。これが実は厄介ですよね。誰もが、長期間で形成してきた「悪癖」に悩まされているんじゃないかなと。

でも、ここで思うんですよね。「長期間で形成してきた自分」と、「それに抗おうとする、一瞬の発露としての自分」。どちらも自分なんだけど、多層な時間の中に、それぞれ自分がいて、自己分裂を起こしているんじゃないか。と。

時間スケールの架橋

そうした、認知的葛藤の中で、この間、東大のある研究結果を見つけました。

本研究は、ミクロな生化学反応とマクロな生命現象の間を生命がどのように埋めているかを明らかにすることで、生命現象を支配する時間スケールがどのように決まっているかを理解しようという他にほとんど類を見ないものです。時間スケールが重要な意味を持つ生命現象は、前述のように、体内時計や睡眠、記憶など多岐に渡ります。本研究は、これらの生命現象を支配する時間がどのように決まっているのかを理解するための、大きな礎となると考えられます。また、本研究で得られた生化学反応とガラスの間のアナロジーをより発展させることにより、将来的には、さまざまな生命現象に流れる時間をコントロールすることが可能になると期待できます。(生命の時間はガラスのようにゆるやかに流れる )

いやぁ感動しましたね。「時間スケールの多層性は、生命科学でアツい(?)テーマだったんか」みたいな。また、以下の内容は、動植物の生命活動に関する時間スケールの架橋に関する発見内容の一部なのですが、これは非常に示唆に富んでいるなぁと思いました。

各分子の数は、最終的に一定の割合に落ち着くまでに多数のプラトー(図 2 において時間的にほとんど変化しない部分)を示しながら、時間に対して対数的に変化しました。この時系列は、統計物理学においてよく知られている、ガラス中の分子の運動に非常に近いものでした。そこで、この生化学反応のモデルをさらに深く調べたところ、その中にガラスを支配していると考えられている仕組みの一つである動的拘束模型と非常によく似た構造が潜んでいることがわかりました。動的拘束模型とは、エネルギー的に安定な状態はシンプルであるものの、そこに至るまでの状態の遷移できる状態に制限があるために、結果として安定な状態に至るまでの速度が遅くなるようなモデルのことです。(生命の時間はガラスのようにゆるやかに流れる )

この動的拘束模型の説明を、人間の営為に当てはめて(恣意的に)換言してみる(「思考/想起」と「習慣/アイデンティティ」の架橋の場合)と、「エネルギー的に安定な状態はシンプルであるものの(プラトー現象化にある静的な習慣やアイデンティティの状態)、そこに至るまでの状態の遷移できる状態に制限があるために、(安定状態に遷移をもたらすようなミクロスケールでの思考の発露が永/断続的に行われても)結果として安定な状態に至るまでの速度が遅くなるようなモデルのことです」。という感じに言えるんでしょうかね。

この実験の生化学反応においては、「酵素の量」が時間スケール架橋のキーファクターであったようですが(酵素の量に依存して、反応の起こり方が変化した)、人間の場合はどうなるのか、気になります。

関係ないようである概念として「動的平衡」とか「高原現象(学習曲線のプラトー)」などがありそうです。


などと色々書いてみました。単純に読書ばかりしていて暇だったので。アウトプットの一環として行ってみたものの、やはり難しいですね。

時間スケールの多層性は、結構好きな話題なので、ぜひ誰かと話せたら嬉しいですね。

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