未来について考えてみたい

①未来予測は重要だが難しい。

将来・未来を予測することは、難しいのは当たり前ですが、将来について何かしらの予測をしながら日々人は生きています。ただ、多くの人は、その思考範囲が空間的にも時間的にも無意識的状態ではとても狭いことが普通だと思います(今後一週間だけ、身の回りだけ、など)。そのように狭い未来予測(想定?)でも、日々自分たちは成功体験を積んでおり、報酬を受け取っていると思います。想定したリスクを事前に回避するなど。しかし一方で、横道にそれる話ですが、予測した未来を回避しては、成功報酬が周りにくいというのは、難儀な話ですね。

人の意思決定は、前からのロジックと、後ろからのロジックとで、両面からの評価観点があるのでしょうが、多くは前からの評価に頼りがちかと思います。前からとは、「ある意思決定の、その時点におけるプロセスや意思決定の相対的質に対する評価」のことを指し、後ろからというのは「結果どうだったのか?意思決定が基づいていた前提はどの程度精確だったのか?」という。考慮領域における未来に対する仮置きの評価と、結果論的な評価の2点を内在しているイメージです。

意思決定の主体者の視点から考えたときに、明らかに「未来をどのように予測しているか?」「どのような未来を創りたいか?」という、未来に対する客体的・主体的観点からの分析というのは、重要なファクターとなることは間違いないでしょう、多分。


しかし、未来とはもちろん、不確実です。よくわからない要因がよくわからずに絡み合っています。

未来を予測するのは、思考の最上位レベルの鍛錬に属していると思います。

未来のある事柄について思考する際に、どういう視点が重要で、それをなぜ・どのように鍛えるのか?について、少し思っていることを書きます。

(事後:全然書いてないや)

②未来予測の、今見えている範囲での構造

現在とは、過去の累積であり、その過去というのは人間の一般的認識を遥かに凌駕した累積量でしょう。無意識的に生きていると、人間は「過去1ヶ月」くらいの自分しか背負っていないんじゃないかなと思います。一方で、意識的に過去を振り返る癖を持つ人は、これまで生きてきた人生を意識しながら、その累積の結果としての現在を生きている感覚があるのではないでしょうか?それが、いわゆる「縁」的な感覚の開かれにあたるのかなと感じています。

「縁」とは、非直接的因果律の総称と言っても良いでしょう。つまり、因縁ですべての事象は動いていると考えられ、数十年前の伏線が今日回収されるようなこともあるのでしょう。もちろん、そんなものを意味づけするのは人間の認識でしかありません。そこに再現性の根幹たる原理が内在しているか否かというところも、現象の理解に対しては重要なのでしょう。

習慣を変えるのは難しいですよね。私は小さい頃にとても太っていたのですが、悲しいことに世界においては「太っている人は太りやすい」みたいな、収穫逓増的な原理が多く存在しているように感じます。むしろ、収穫逓減的な原理を内在しているのは、収束性を持つ市場原理しかないのではないでしょうか?収穫逓増の法則は、基本的には「存在の記憶」に対する堆積性・資産性に基づいていると思います。例えば「よく本を読む人は、それらの知識の総体と結びつけながら本を読むため、本を読む際に、本をよく読まない人と比較して、"読む速度が速い"うえに"深く理解している"ゆえに"本の記憶が定着しやすい"」という、「え?人生ってクソゲーでは?」という資産性の格差があるように感じます。もちろん、今回はわかりやすさのため、正のフィードバックループにのみ着目して切り出してみました。あと例えば、筋トレでも同じことを言えると思います。「筋肉がある人ほど痩せやすく」「太っている人ほど筋肉が付きにくい」というような、正のフィードバックループ(収穫逓増の原理)が強いような印象を受けます。実際、正負のフィードバック、どちらのほうが大きいのでしょうか。

ここで言いたかったこととしては、「現象は相互の因縁関係を形成しつつ、その動的平衡状態として一つの現象を表現している」ということです。上記収穫逓増の原理については、あくまでそこに見られる因縁関係のうち、因に比較的近い、一つの力学の例でしかないです。

例えば読書量を例に取ると「親が小さい頃から本を読んでいて、本に抵抗感が少ない」とか「小学生のときに国語が得意だったおかげで、本への苦手意識がない」「両親が早口めなため、言語処理能力が高い」というような、一見して上記フィードバックループに対して外側に存在する遠因(~縁)も考慮する必要があります。

このようなとき、幼少期に子供の動向を観察して、「この子はXX歳のころまでにYY冊程度の本を読むだろう」という予測をするとしましょう。

このとき、明らかに重要なのは「この子は、読書習慣の収穫逓増ループに入るか否か?」と「入るとしたらいつ頃からか?」の2点が、Yの大小を大きく分けるストーリーになるのではないかと思います。

つまり、XX歳時の累積読書量 ≒ [習慣時の一定期間内読書量] × [習慣定着期間] のように表せるわけです。もちろん、習慣形成期間という途上段階も存在するので、もし縦軸に月当たり読書量・横軸に月をおいたグラフを書くとすると、グラフは台形になり、未来予測は面積を求めるだけの簡単な問題となるでしょう。

しかし、そうした「キラーな変数」を決定するであろう因縁は無限に存在します。例えば「小学生の時に一番中の良かった友達の趣味が読書で、一緒に感想を話すようなことが度々あった」とか、「図書館でたまたま手にとったハリー○ッターがめちゃ面白くて、小説にハマった」とか、「両親が学歴を重要視しており、家に大量の本があり、度々読み聞かせをしてくれていたので、定期的な読書が当たり前になっていた」などなど、無限の可能性が広がっており、因縁への創造は無限に広がり、関係性も無限に想定されます。


上記の例は、とてもミクロな手頃な理解しやすい例をとりましたが、例えば業界や産業・テーマの未来予測も、原則としては同様といえるでしょう。もちろん、複雑性がだだましになりますが。

ここでいう複雑性とは「累積している歴史性(時間軸)」と「関係性している人間の数(空間軸)」でざっくりと見えるのではないかなと思いますが、まぁそんな感じです。

③未来予測のフレームワーク(初期仮置)

一旦、こういうやり方で進めてみたいなと思います。続くかな?

1,テーマを決める

2,仮説ベースで、考慮要素を挙げまくる

3,歴史的変遷を考えてみる

4,歴史的傾向を踏まえた上で、考慮要素がいかなる因縁関係を作りながら動いていくかを思考実験してみる

5,まとめて頑張る

です。

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