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小さな学校「Heart party」について●(3)インターネットが次に行うこと

 インターネットがはじまって、僕がポンプでやろうとしたことの大半が現実化した。出版社や放送局に頼らなくても、誰もが自分のテキストやイラストや写真を、世界に提示することが出来る。インターネットが拡大していく時に、古い感覚の文化人からは「インターネットは便所の落書き」というような感想が流れた。それはポンプの時にも似たようなことを言われたことがある。しかし、僕は、お金のために表現するクオリティ追求の活動よりも、一人ひとりの生身の実感によるライブな表現の方が未来的だと思っていた。「クォリティからライブへ」というインターネットが始まった時の僕のスローガンは、学生時代に感じた「同人誌からミニコミへ」という考えの延長線にある。

 そして、誰もが、表現活動の発露メディアを持つことになった。しかし、そのことがメディアの完成ではない。現状を見ると、確かに、表現活動支援ツールはさまざまに登場している。しかし、その多くは、かつての出版社や放送局が行った一方通行メディアの方法論を個人がやっているだけではないのか。表現活動は活性化したが、コミュニケーション活動は停止しているのではないか。あるのは、タテマエ同士の争いや、何者かの紅衛兵同士の罵倒合戦である。

 70年代のポンプには、投稿原稿の大半は実名であり、更に住所まで明記した。今の個人情報保護の風潮では考えられないだろう。当然、投稿原稿に対して、ファンレターもくるし、いやがらせの手紙も来る。高校生や大学生の女の子の投稿者が多かったので、電話を調べてイタズラするのも現れた。僕のところに、イタズラで困ってると相談に来たら、僕は「ガンバレ」と言った。そういう相手をあしらっていけないと、これからの社会では生きていけないぞ、と、かなり乱暴な応援の仕方をした。

 僕はポンプという雑誌の意味は、掲載された誌面だけではなく、それを発行することにより、無数に発生する、個人対個人の手紙や電話のやりとりまで含めたコミュニケーション全体に価値があると思っていた。住所の近い人は、直接会うようになり、集まるようになった。人が何かを表現するということは、自分の存在をアピールすることであり、自分を宣伝することだと思う。表現が目的ではなく、それは、その表現を媒介にして、その向こう側の人間の姿を明らかにすることなのだと思う。実は僕がロッキングオンの編集室長をやっていた時も、ライターの個人住所を全部書いた。

 そこで「NTP」という企画を立てた。ニュートーキングパーティというものだ。単なるおしゃべり会なのだが、「ホテルニューオータニって、ニューの前にホテルオオタニというのがあったのか」というポンプへの投稿が受けたので、はじめて作ったのに「ニュートーキングパーティ」とした。

 ポンプの投稿者は、「パーティをやりたい話題、日時、集合場所、自己紹介」などをポンプに投稿する。それを見た読者が、その場所に行って、おしゃべりをするのである。もともと、ポンプの創刊時から、このような小さなおしゃべり会を各地で仕掛けていた。

 僕がポンプをやめた時、次にやったのが、このNTPを発展させた「Heart party」である。僕は、これをインターネット時代に復活させたい。

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