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参加型社会宣言(2)DeNAのキュレーション・サイト問題について。橘川幸夫

(1)「体験」と「実感」

 DeNAのキュレーション・サイトが無断引用や事実誤認のまま医療情報などを公開していたことに対する批判を浴びた。この問題は、「インターネットとは何か」「インターネットにおける情報とは何か」という根本的な問題を考える契機になるだろう。

 僕は1972年にロックの投稿雑誌「ロッキング・オン」、1978年に全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊して以来、参加型メディアを追求してきた。紙の参加型メディアでは、どうしても全部掲載出来なくて、没が出てしまう。その対応策として、コンピュータによる電子メディアを追求してきた。電子メディアにおいては「メディアの面積が無限大」であり、没のない投稿雑誌が可能だと思ったからだ。1983年に、僕の事務所の仲間たちが「データベース、電子図書館の検索法」(東洋経済新報社)という本を出した。電子通信メディアの本としては、かなり早い時期の書籍になると思う。

 80年代後半からパソコン通信が始まり、90年代半ばからインターネットが登場して、僕が希求してきた参加型メディアの基本インフラが出来た。僕は喜んで、一人のユーザーとして電子メディアで出来ることを模索してきた。

 やがてインターネットの情報が飛躍的に増大したが、僕が求めてきた投稿とは違うようなものがあふれてきた感じがした。そして、この膨大な無意味な情報の中で、本当に、肉声として個人がいる情報だけを探し続け、何人かとは直接、出会うことが出来た。

「ポンプ」で、僕が投稿者に求めたのは、「体験」と「実感」だけである。個人の体験に基づいた情報と、個人の実感に基づいた表現だけを投稿してくださいと、最初から最後まで言い続けた。いくらクオリティが高くても、読んだ本のリライトだったり、他人の意見の借り物だったりしたものは、なるべく排除した。そこには生きた人間がいないで、ただ、無機質な言葉が並べられているからだ。参加型メディアの本質は「ライブ」であり「リアリティ」である。旧来型メディアにおける「整合性」や「クオリティ」では決してない。

(2)「さくら」と「やらせ」

 DeNAのキュレーション・サイトはライターたちが、あちこちの情報をコピペして、リライトしたものである。ここには、個人の表現欲求も、思いを伝えたい情熱もない。言葉の死体である。

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