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プリンスのことなど

T・レックスのマーク・ボランが死んだ時、何か、子どもの時に大切だった玩具が「壊れた」と感じた。その後、多くの好きだったミュージジャンが死んで行ったが、いつも、それは、親戚や友人の死とは違う、独特の痛みを感じるものだった。

ミュージシャンが音楽を演ってくれていなかったら、僕は、絶対に出会わなかった人たちなのだ。その人たちの死は、物理的な関係が壊れる痛みより、自分を形づくっている時代というものの部品が切断されていくような感じがする。メディアで出会って、メディアで別れていく人たち。僕らは、多くのミュージシャンと出会い、それだけ多くのミュージシャンとの別れが用意されている。今年は、特にめまぐるしい。よく時代と戯れたものは、よく時代との別れに立ち会う責任がある。

プリンスがなくなった。この時期に亡くならなくてもよい人だと思う。インフルエンザという話もある。プリンスは、マイケルジャクソンという陽に対する、月のような存在として僕らの前に現れた。マイケルの正しい音楽、正しいダンスに対して、プリンスの音楽はつねにねじれていたような気がする。僕は、マイケルの声を愛したのと同時に、プリンスの声に魅入られていた。プリンスには最初から死の影があり、そういう人の死の告知は、悲しみも屈折する。

時代が死んで行く。時代が、肉体から離れて歴史になっていく。脱ぎ捨てられたステージ衣装のような作品だけが残されていく。

昨日、学生時代の先輩の田谷満さんから電話があり、新木正人さんが亡くなったことを伝えられた。新木さんの文章は、18歳の自分にとって、まばゆい才能だった。

あの時に戻ることは出来ない。それは、永遠に出来ない。僕らもまた時代に脱ぎ捨てられる日まで、時代の中身であり続けるしかないのだろう。

合掌。

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