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橘川幸夫の情報的余生の生前葬開始準備中について。

◇人生は50歳までと思う。それは長い歴史の中で決められたことなのだろう。僕も、50歳になった時、無性に空虚な気持ちに襲われた。それが何かを理解するために10年かかった。50代というのは、それを理解するためにあるのかもしれない。

◇現在は66歳。20歳の頃、こんなに遠くまで来るとは思わなかった。来てしまえば、20歳の頃と変わらない景色だ。景色は同じだが、違うことがある。生は常に死を意識した生である。20歳の頃にも慣れひたしんだ死の感覚がある。しかしそれは、イメージの産物であった。60歳をすぎると、確実にイメージを超えた、むき出しの現実としての死が、景色の中にいる。

◇50歳の時に、もう新しいことは何も出来ないという虚無感の中で、若い仲間を集めて「生前葬」を行った。それまで気がついたり学んだことを、若い連中に全部伝えて終わろうと思ったのだ。ところが、まだその先があった。

◇僕は最近「情報的余生」という概念を見つけた。そのための第二の生前葬を行うことにした。(有料会員制である)(笑)

◇僕は、自分の素質や能力には、とことん絶望したところからスタートしている。学生時代の友人たちは才気あふれる優秀な人たちばかりだったからだ。ただし、今の僕が彼らとは違う道を歩めたとしたら、それは唯一、素材ではなく方法を大事に育ててきたからだと思う。

◇僕の自慢がある。友人たちだ。その友人たちの99%は、メディアを通して出会った人たちである。同じ地域に生まれたからでも、同じ学校に通ったからでも、同じ職場にいたからでもない。メディアを通して、お互いが自主的に選択した関係である。これは、これからの社会を生きるにとって、とても大事な方法論だと思う。

◇僕が政治には関心を持てても、選挙政治に関心を持てないのは、それが個人と個人とのつながりではなく、個人が組織を選ばなければならないという現実があるからだ。であるなら、一人ひとりとの関係性を結んでいくことに、時間を使いたい。そこからしか僕の望む政治は見えてこない。

◇僕は、若い時、マンガや本を読んで感動した時は、その人の講演会や大学の授業にニセ学生で行って聴講したりした。メディアで知り合った同時代を生きている人とは、直接、同じ時間と空間を共有したいと思ったからだ。目つきや仕草や呼吸を感じ取りたかった。そして、真崎・守というマンガ家と、林雄二郎という思想家には、直接手紙を書いて、大事な関係性を結ぶことが出来た。

◇僕は31歳の時に最初の単行本「企画書」を出して、それ以後多くの本を出して来た。ベストセラーには程遠いが、それでも本を出すことによって、大事な関係を作れた人が沢山する。こういう嬉しい出来事があるから単行本は出す意味がある。

◇僕は、40歳までは、弟子と呼ぶ人間はいなかった。40代の時に3人だけ弟子を認めた。50代になってからは、本を読んで面白いと言ってくれた人は、みんな弟子で良いことにした(笑)それで、弟子登録も行っている。

橘川幸夫の弟子登録フォーム

◇これに登録していない人は弟子を自称することを禁止している(笑)

ああ、弟子脱退も自由です。

◇ということで、弟子登録希望の方は、お早めに登録をすませてください。会ったことがなくても、大丈夫です。

登録された弟子たちを中心に「情報的余生」の生前葬を開始します。

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