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小説・占い師の時代(6)第六章(1) 教育の時代

小説・占い師の時代

第一章「叔父からの情報」
第二章 アイドルを探せ
第三章 100回目の芋煮会
第四章「占い師になってみて(田岡源太郎の独白)」
第五章 共同体の行方
第六章 教育の時代

▼今回の登場人物

ナレーター(山形花子)

山形満 66歳 広告代理店「ジンクス」社長
須藤力 62歳 元文科省官僚
保科明子 43歳 元教師、現在学習塾経営

▼次回登場予定
山形花子 53歳 満の妻。編集者
山形生子 15歳 女子高生・山形満と花子の長女


1.旧友

 山形満は1970年代に田岡源太郎が創業した編集プロダクション「ジンクス」の社員だったが、源太郎から会社を引き継ぐ時に、編プロではもう食えないと広告代理店に業態を変えて、インターネットの時代に挑むことになった。制作と営業の二本柱で、経営は大変だったが、なんとか維持してきた。

 妻の花子はもともと優秀な編集者だったので、満が営業の中心になり、花子が制作の中心になって仕事をしてきた。満が50歳になった頃に、初めての娘である生子が生まれ、満はこれまでにない高揚感を味わった。生子は、家では「いのち」という名称で呼ばれて育った。満の高揚感は、それまで編集とか広告の世界では味わったことのない「いのち」のリアリティに触れたからだろう。

 満は新宿の紀伊国屋書店の前で須藤力と待ち合わせをしていた。須藤は元文科省の官僚で、満が主宰していた現代状況研究会に須藤が参加して出会い、意気投合してもう20数年が経つ。会った頃は須藤は文科省の初等中等教育局の課長として教育改革に燃えていたが、60歳で官僚を辞め、現在は教育系の財団の事務局長を務めている。天下りである。これからいくつかの財団を渡って、退職金を手に入れるのだろう。

 約束の時間より早めに着いた満の前に、約束の時間ぴったりに須藤が現れて、大きな声を出した。

「おお、元気か! 久しぶり」

須藤は官僚時代よりも明るい笑顔だった。見ると、40前後の女性と一緒だ。

「ああ、今日は保科さんを連れてきたよ。保科さんは元中学校の教師で今は学習塾を経営している。教育については、とてもラジカルな考え方をしている人だから、満に合わせたいと思っていたんだ」

「よろしくお願いします」保科明子が静かに挨拶をした。

「よろしく。では、行くか」満は二人を先導して、新宿二丁目の居酒屋を目指した。

2.居酒屋にて

 居酒屋は半地下の店で、年季の入っている雰囲気のある店だった。
席に着くと、満から話しはじめた。

「保科さん、あらためて、はじめまして。私は山形満。須藤よりも年配で、もう還暦越えてだいぶ経ちます。もともと編集プロダクションで雑誌とか書籍を作っていたんですが、それでは食えなくて途中から広告会社にシフトして、なんとか生き延びてきました。もう引退したいのですが、なかなかそうもいかずに苦労しています」

「編集の仕事は私も若い時は憧れていました。大学卒業する時にマガジンハウスの就職試験を受けたのですが、落ちまして(笑)、行くとこないので教師になりました」

「1970年ぐらいまでは、小学生の将来何になりたいかという調査で『教師』はいつも上位に入ってたんだけど、90年以後は、なりたくない職業ランキングで『教師』が上位に入ってるんだよな」

「荒れた教室とか、モンスターペアレンツとか、新聞やテレビで話題になればなるほど、教師にはなりたくないと思うよなあ」

「そうですね。私が入った公立中学校も、ブラック企業並の職場環境でしたね」

「須藤、文科省は何やってたんだ?」

「いやあ、私たちだって、懸命に教育改革を推進してたよ。だけど、時代の変化や環境の変化がそれ以上に急速で、対応が後手後手に回ってしまったのは、確かだな」

「そもそも、近代や戦後の教育の方法論が通用しない時代になってきたという認識が文科省には欠けていたんではないかな」

 満がそういうと、保科は不思議な笑みを浮かべて、うなずくように話した。

「そのとおりです。インターネットの時代が迫っていたのに、文科省は相変わらず一方通行の押し込み教育しか考えられなかったんですね。須藤さんのように危機感を持ってる人もいらっしゃいましたが、多くの主流は、これまで通りのやり方で押し通そうとした。それは、特に学校の現場では、校長や教頭があまりに旧来の方法にしがみつきすぎていました」

「それで、彼女は教員を辞めて、新しい私塾をはじめたんだ」
須藤が嬉しそうに話した。

「ほう、どういう塾なんでしょうか」
満が前のめりに関心を示した。

「その前に、ビールがきましたから、乾杯しましょう」
保科が、おやつをねだる子どもをあやすように、男ふたりを見回した。

3.思考の動力革命

「満さんは、現代の教育の問題は何だと思いますか?」

保科はピールを美味しそうに飲みながら、優しい語り口で満に質問した。
保科はよく見ると際立った美人というわけではないが、どこか幼女のような笑顔を感じさせる、不思議な存在感のある女性だった。

「まずはインターネットですよ。私も古い出版業界にいたんですが、パソコンやインターネットが普及して『これはやばい』と思って、インターネット広告の方に業務をシフトしたんです。インターネットは、たぶん、近代人が蒸気エンジンを発明して、それまでの人力や家畜の力に頼っていた動力への考え方が根本的に変化した時と同じようなことが起きているのだと思う。インターネットはいわば『思考の動力革命』みたいなものだと思います」

「おお、『思考の動力革命』というのは、満からはじめて聞いたな。また、あの爺さんのネタか(笑)」

須藤は、いたずらっ子のような笑みを浮かべて話した。

「爺さんって、誰ですか?}

「満の会社の創業者で、今の、田舎で仙人みたいな生活をしている爺さんがいて、その人や、その仲間が年に一度くらい集まる会議があるんだが、とんでもなくぶっとんだ話がたくさん出てくるんだ。芋煮会という名前なんだ」

「へぇー、面白そう。私も行きたい」
保科は最初のビールを飲み干し、焼酎の梅割りをオーダーしていた。なかなかの酒豪のようである。

「いや、これは、あの爺さんのネタではないが、まあ、彼の影響かも知れないな。オレのテーマは、いかに、あの爺さんの影響から逃れるかなんだ(笑)。それと芋煮会は、年に一度ではなくて、割と頻繁にやってるよ。須藤さんも、今度予定が決まったら案内するよ」

「えっー、嬉しい!}
早くも保科がアルコールが体内を走り回っているように、1オクターブ高い声になっていた。今夜の議論は賑やかになりそうだ。

4.駅弁大学のはじまり

「18世紀後半の産業革命以後、人は人体の能力よりも機械の能力によって生産力を高めた。東京から大阪に行くのに、現代の人間は新幹線に乗るのが当たり前だ。誰も歩いて行こうとは思わない。しかし、現代の教育は、相変わらず『自分の力で歩いて行け』というような精神なんじゃないだろうか」

満が説明すると、保科が待ち受けているように、あとをつないだ。

「私は、こう思うんです。日本の近代化がはじまった明治時代。日本は西洋近代の技術や知識を吸収して、日本を変えようとした。そのためには、特別な能力や知能を持った人が、西洋を学び、研究をしてきた。そうしたインテリの学者たちがのそばに、無名の若者たちが集まり、学者の知見を吸収しようとした。それが大学の始まりですよね」

「そうだね。大学教授は研究者であり教育者なんだ」
須藤が説明した。

「明治、大正と、大学の教授は特別な存在だったんですね、日本の将来の方向性を決める重要な仕事だったわけです。そして第二次世界大戦に突入し、戦後復興がはじまると、日本中に新設大学が誕生しました」

「大宅壮一が『駅弁大学』と呼んだ奴だな」
「そうそう、駅弁を売ってるような駅近くには、新しく大学が誕生したということだな」

「戦後の大学というのは、戦前の大学とは違うミッションがあったのだと思います。それは戦後復興ですね。焦土と貸した日本を復興するためには、企業を再建しなければならないし、そのための企業社員を増大させなければならない。そうした復興の企業戦士を育てるために、全国各地に大学や専門学校が増えたわけてす」

「明治時代の近代の大学と、戦後の大学は、コンセプトが違うのだな」

「そうです。そして、近代も、戦後も、その方法論は終わりつつあるのだと思います」

「それは同感だ。そして、その次の方法論がなかなか見つからないで模索を続けている、というのが現代だな」
 満も焼酎に変わっていて、ぐいっと飲み干しながら言った。

5.保科の違和感

保科は顔色にうっすらとピンク色が浮かんできた。目はどことなく潤んでいるように見える。テンションがまた一段階上がったようだ。

「私は80年の前半に大学生活を送ってきたのですが、大学の講義になんとなく違和感を感じたんです。私はもちろん知りませんが、先程言ったように、明治時代の大学って、教授は研究が第一で、その派生で教育をやってきたのだと思います。戦後になると、教授は、かならずしも研究者ではなくて、教育の専門家であり実務家になってきたのだと思う。そして、その教育の専門家というのが、どうも不安定に思えてきた。教師のアイデンティテイが失われてきたように思うんです」

「それは、今の大学の先生を見れば分かるね。教えることの自負というか、骨がない先生が多いな。それは大学に限らず、小学校でも中学校でも高校でも、教師のアイデンティテイというものが失われてきているように思う」
須藤は、元文科省官僚だけあって、実感のある発言をした。

「オレが子どもの頃は、学校の先生って権威というか、怖かったよな。よくうちの母親はオレが何か悪さすると『学校の先生に言いつけるよ』と言うんで、こちらはビビったよ。先生は怖い大人の象徴だったんだな」

「まあ、満は子どもの時は悪ガキだっんだろうな(笑)。当時は体罰なんかも普通にあったようだが、今では体罰なんかやったら、たちまち新聞ザタになるよ。それで正規の授業では体罰出来ないので、柔道部の部活動で、素行の悪い子をしごいたりする先生がいて、これもまた問題になったことがある」

「それは、昔は、『家と社会』『子どもと大人』が明確に分かれていて、社会や大人の方が圧倒的に権力者だったからだと思うよ。戦後民主主義の普及がどんどん進んで、すべてがフラットになって、学校や教師の権威がどんどん薄れてきたんだよ」

「すいませーん、焼酎、ボトルで入れてもらえますか? あと卵焼きと、シラスピザをお願いします」

保科は注文を取りにきた店員に、焼酎のボトルを頼んだ。みんなの様子を見ていると、軽くボトルをあけられそうだ。

「私も大学を卒業して中学校の教員になってね、自分が権威ないなあ、と感じたんですよ。というより、権威があると思って子どもたちと付き合っても仕方ないな、と。だけど、いろんな子どもたちのいる学校って、ほんとに難しくて、
大半は、先生の権威が薄らいでいるのが実態なのに、一部に、先生の権威を強烈に要求してくる子もいるんですよ。そういう子に限って、親はもっとすごい教師権力を要求してきたりする」

「先生の権威が薄らいできたのは、皮肉も戦後民主教育の成果なんだな。平等主義と個人を尊重するという価値観を徹底的に教えてきた。そして、昔は大学まで行くのは特別なエリートたちだったが、戦後の駅弁大学の普及で、大卒が当たり前になった。戦前は大卒のサラリーマンなんか少数で、自分の家で商店だったり、職人の子どもたちばかりだった。今の子どもたちの親は大半は大卒で、中学校の教師に特別の尊敬感なんか持つわめがない」

「そうですね、更に、先生より偏差値の高い大学に行ってた保護者とか、外国の大学を卒業した親の子どもなんかがいると、あからさまに先生を下に見て評価する保護者もいますね」

「そういう家庭では、親が子どもに対して、学校の先生の教え方を否定したり、ばかにしたりするから、子どもたちは先生を尊敬しなくなるんだ」

「大変なんだなあ、今の学校って」

「私も教員時代は、ほんとに苦労しました。だけど、気がついたんです。これは先生の能力や努力では解決つかないと。これは、社会の構造が大きく変わってきているんだと」

「ほお、面白そうだな」

「先生にしか教えられないものが、なくなってきているんです。社会の情報の構造が変わってきているんです。それで、今の学校教育の構造では何も出来ないと思い、教員をやめて、私塾をはじめたんです」

「そりゃあ、期待できそうな話だな。まあ、飲めや飲めや」
満は、保科のグラスに焼酎をあふれるばかりに注いで、上機嫌であった。

6.反転授業の会

「オレが文科省の初等中等教育局の現場にいた時に、ストレス抱えてメンタル壊してる先生がたくさん出た。90年代から2000年代になるあたりだが、日本の社会は大きく変質したんだと思う。にもかかわらず、学校はいろんな意味で『変わらないこと』を要求される場でもある。その板挟みで、教師個人がどういう教育をすればよいのか、引き裂かれてしまう。特に、ピュアで熱心な教師ほど、メンタルを壊していたと思う」

「その時代は、ちょうど、インターネットが普及した頃だな。インターネット以前と以後では、社会の構造が根本的に変わったんだろう」

「田原真人という男がいてね。彼は河合塾でカリスマ物理講師だったのだが、やはりインターネットの時代へ突入していく中で『教育』のあり方を根本的に見直すべきだと感じたんだ。教師が絶対的な知識を、ただ一方的に伝えるだけの教育ではなく、生徒の側が主体的に学ぶべきだと感じて『反転授業の会』というのを呼びかけた」

「ほう、それはどういうものなんだ?」

「これまでの学校教育は。学校が神聖な教育の場であり、教師は知の伝道者であった。生徒は素直な羊たちであり、教師の言うことを素直に吸収すればよい。この方式は、戦後社会の組織拡大の時代には効果的な方法だったが、一面、同質な子どもたちを育ててしまった。多様性が必要になってくる、これからの時代には対応出来ないと感じたんだな」

「なるほど、正しいね」

「田原たちが考えた反転授業とは、例えば、田原が物理の講義を動画化して、事前に生徒たちに公開して自習してもらう。その上で、教室で自分の感じたことや質問・疑問を先生に発表して、先生は補完的に知識を与えていく形だな」

「世界中の大学で、教授自らが講義の動画を公開していたから、時代の流れにも合った方法論だな」

「その反転授業の会は、現状の教育環境に不安や不満を感じている教師中心に5000人規模のネットワークになった。その動きにオレも注目していた。やがて動画だけではなく、オンライン講義の可能性が生まれて、田原は、2017年という早い時代に「Zoomオンライン革命!」という本を出版して、反転授業の先にオンライン講義の可能性を感じたわけだ」

「2017年とはまた早いな。Zoomが普及したのは、2020年のコロナパンデミックの時だからな」

満と須藤の教育論議が進んだ。

「私も田原さんの反転授業の会のメンバーでした。集まっている人たちは、みなさん、それぞれの現場で、社会の大きな構造変化を感じながら、次のフェーズへの道がなかなか見つからない人たちでしたね。とても面白くて楽しい先生が多かったな」

7.時代のミッシングリンク

「それで、保科さんがやっている塾って、どういうものなの?」

「ええ、名前は深呼吸塾って言うんですけど」

(続く)


第六章 教育の時代(動画記録)



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