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情報化社会における師匠と弟子(2)

情報化社会における「師弟関係」について。

 僕は19歳ぐらいから、メディア作りを自分の生活の中心においた。同人誌からミニコミ、市販誌、ネットメディアと、常に「自分のメディア」があった。僕を突き動かしていたのは何か、と考えてきた。

 1980年代に書いた原稿に「これから僕の書くものはすべて崩壊論だ」と書いたことがある。それは古い価値観やコミュニティの崩壊を肌身に感じて育ってきたからだ。僕は、今、数多くの友人に恵まれている。そして、その9割以上は、メディアを通して知り合った関係である。

 つまり、生まれた場所(地縁)や入学した学校(学縁)や働いた会社(労縁)の友人は、あまりいない。その時は友人として関係を持つが、環境が変われば無縁になる。しかし、メディアで知り合った人とは、利害関係もなく、血縁でもないのに、生涯の付き合いになることが多い。

 30数年前に、雑誌の編集長・読者として、文通していた人と、30数年ぶりに、初めて会って、それが「再会」のように、変わらぬ会話が出来るのが、メディア縁である。自然コミュニティの環境に支配された関係から、メディアを通して、それぞれが自発的に出会った関係だから、環境が変わっても、本質的な関係性は変わらない、人の立場や肉体は変化するが、本質は、なかなか変わらないものである。

 利害関係ではなく、本質的なところで結ばれる関係は、ロックミュージシャンとファンとの関係にも似ている。ファン同士はまさに同志である。情報化社会の師弟関係とは、利害関係とは別のところで、時代の中の同志としてつながりあうのだろう。だから逆に、現実の利害関係がはいりこむと、うまくいかなくなることがある(苦笑)

 かつて、ロッキングオンは4人の仲間で作った。僕以外の3人は、読者と結婚した。つまりメディア婚である。僕は、新宿ゴールデン街で出会った人と結婚したが、この場合、ゴールデン街がコミュニティ・メディアであった。地縁・血縁から切り離された、人工的な環境の中で出会ったわけである。当時、講談社の故・内田勝さんと話してて、「みんな読者と結婚したんですよ」と話したら、びっくりされた。それは、旧来の出版業界の掟からすれば、雑誌を作る側(編集側)と読む側(読者側)とは、一線が画されていて、編者と読者が付き合ったりすることは、禁忌に近いものだったからだ。

 しかし、ロッキングオンを作っていた僕らにとって、現実の世界とメディアの世界は同一のものであり、むしろメディアの世界にこそ「新しい現実」を感じていた。その雑誌空間が70年代ロッキングオンの一つの意味だと思っている。僕は、この感覚を延長しようと思って、「ポンプ」を創刊し、ネットの世界に入っていった。

 新しい世界のビジョンを語るとは、古い世界の崩壊論を語ることと表裏である。戦後社会は、家族・地域などのそれまであった、それこそ弥生時代からあっただろうコミュニティを解体していった。核家族とは、夫婦と子どもだけの家族である。それは、脈々とつなげてきた「家」の意識を崩壊させた。「育休」の問題も、夫婦の協働作業の問題であるが、ポイントは、家族・地域が崩壊して、子育てをサポートする機能が失われてしまったということにある。介護の問題も、核家族になると、両親は、介護が必要となってから、家にやってくる。最初から家族の一員としていて、体調を崩すのとは違うのである。

 壊れてしまったものを、回復するのは、壊した時間の何倍もかかる。また、回復すればよいのかということでもないだろう。僕たちは、新しい環境の中で新しいシクミを作っていかなければならない。

 旧来型の「家」が壊れていくのなら、この情報化社会(メディアの中)の中で、新しい信頼関係を築いていかなければならない。「地域」が壊れていくなら、メディアの中に小さなコミュニティ(コンセプト・バンク)を形成していかなければならない。

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