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メディアに関わる、唯一の理由。

 今週は、風邪でダウン気味。幸い、予定が少なかった週でもあり、家で寝ていることが多かった。ただ、血圧も下がり気味で、本日、病院の検査に行ったが、回復気味とのこと。しかし、また、血液採集とレントゲン撮られたので、来週も病院だ。病院で、弟と、いろいろおしゃべり。

 ここ一週間、懐かしい人たちとの邂逅。僕の場合は、さまざまな領域で独自の活動をしている人を探して関係を築いてきたが、それよりも圧倒的に多いのが、読者たちの付き合い。20代の頃は雑誌を出していたので、雑誌の読者たち。30代以降は単行本の読者たち。雑誌や書籍に触れて、著者に会いたいと思ってくれることは、メディアをやっていて何よりの成果だし、喜びである。

 一週間前に来たのは、鈴木大樹。大樹は20年ほど前に僕の単行本を読んで、会いに来た。当時は慶応の学生だった。その頃、よく会ってた仲間で鈴木というのが3人いた。鈴木琢(190センチを超える偉丈夫。ロッキングオン、ポンプの読者で若いころは、町田町蔵のバンドにいたりしたが、現在は、ミシュランの役員)。やはり僕の雑誌の原稿を読んで連絡をくれた、鈴木ジャンボ(怪しい大手企業サラリーマンで188センチ、100キロの巨漢)などがいて、鈴木大樹は、178センチくらいだが、態度がデカイので、この三人で「デカイ鈴木の会」と命名したことがある(笑)。大樹は、その後、メキキの会を手伝っていたが、海外を放浪して帰国。コーチAに勤務した後、コーチングの会社をやっているようだ。10数年ぶりに、ジャンボと一緒に来た。みんな、それぞれバラバラに追及して、また巡り合うというのは、よいものだ。

 数日前に呼んだ、宮谷大も、10数年前に、和光大学の学生だった頃に僕の単行本を読んで会いに来た。僕の本を読んで何かをやらねば、と思い、お笑いインディーズの動画を撮影し、サイトがアップする作業を、根気よく続けた。今も、メディアブレストという会社を作って、お笑い動画の配信を続けている。

 昨日、フェイスブックに、前川珠子が書き込みしてくれた。僕がコピーライター養成講座の講師をやっていたのは、確か、1985年前後。旧・宣伝会議が銀座のナイルの横の古ビルにあった頃だ。時代が時代だったので、面白い若い受講生が集まっていた。どういう授業をしていたか忘れたが、いつも授業が終わると飲みに行って、おごってしまうのでギャラが赤字になってたことだけ覚えている(笑)

 たまこの書き込み

 こういう書き込みが30年近くしてから読めるって、幸福なことだ。70年代のロッキングオンの頃から、全国から投稿が来ると、渋谷は「こいつのここがダメ」というのだが、僕は「こいつのここが良い」と言うことが多かった。若い人たちの能力を認めることが大好きな体質なのだ(笑)。

 雑誌、書籍、講義、さまざまなメディアを通して、具体的な人とたくさん会った。これだけが僕の財産であり、僕がメディアに関わり続ける理由である。

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