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広告宣伝の未来(1)大量宣伝の時代。(2011-09-28)


広告宣伝の未来。
| 2011-09-28 | 情報化社会論

1.大量宣伝の時代

 311の被災がなくても、日本社会は、それまでの社会方法論の限界に来て大きな構造変革を求められていた。戦後社会の目的は「物質的な豊かさを求める社会」であり、そのために工場の設備を拡充し、流通を完備し、市場を拡大した。

 その方法論は「大量生産・大量消費」という言葉に現れている。この方式が永遠だと考えている人は、未だに「消費者がどんどん商品を購入することが日本を元気にする道だ」と吠えている。たいして必要と思わない商品を買い続けることが、日本を元気にするわけがないと思うのだが。無駄遣いの勧めをしている人が、生活経済のコンサルをしているのは、とても奇妙だ。

「大量生産・大量消費」という言葉には、もう一つ、裏のキーワードが隠されている。それは「大量生産・大量宣伝・大量消費・大量破棄」というベクトルである。戦後社会の消費文化は広告宣伝文化であることには間違いがない。それは、社会の急速な膨張期においては、意味のある方法論だった。80年代バブルの時代は、日本の生産構造においても、消費構造においても、広告宣伝構造においても成熟期であり、社会の風船が限界まで膨張した時代だったのだろう。貿易黒字が続き、保有不動産や保有株式の価値が上昇した企業は、惜しみなく広告宣伝費を使った。広告宣伝費は、経費算入出来る、節税効果の意味もある。どうせ税金持っていかれるなら広告に使ってしまえ、という意識が当時の景気に浮かれていた経営者には少なからずあったと思う。

 広告宣伝費の増大は、テレビや出版業界の広告宣伝費となり、利益をあげたメディアは高学歴の新卒社員を採用し、高額な給与モデルを設定した。日本の法律でいくと、企業は給与をあげるのは自由だが、下げるためには雇用者全員の合意が必要である。今、テレビ局や大手出版社の給与構造が高いと言われているのは、この時代に決めたことのツケではないかと思う。広告宣伝費が圧縮された今、メディア業界は、リストラの嵐が吹き荒れた。

 大手出版社などは、以前としてコミックスなどの売れ行きは順調だから、普通に本を作って売っていれば、問題は少なかったのだと思う。80年代以降、女性誌などに大量の広告宣伝費が流れこみ、その収益を前提に、いわば広告モデルのビジネス構造に組み替えてしまったのが、大きな問題だと思う。広告は、今、根本的な変動期を迎えている。

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