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リクルート私感


「起業の天才!―江副浩正」Zoom読書会を実施した。


 リクルートという会社にはとても親しい感覚がある。1990年に、僕が「一応族の反乱」(日経新聞社)を出した時に、恵比寿で出版パーティを開催した。発起人100人以上、参加者は600人を超える、僕の人生でも最大規模のパーティだった。そこで動いてくれたのが、リクルートの若い人たちであった。リクルート映像の人たちは、記録映像まで作ってくれた。80年代に出した僕の本がきっかけで、リクルートの澤田美佐子さんに出会い、彼女が、リクルートのキーマンたちを次々と紹介してくれた。僕の最も大事な弟子になった故・信國乾一郎を紹介してくれたのも澤田さんだ。

 僕の個人的なリクルートへの思いはいつか語りたいと思うが、リクルートという会社は、戦後社会の発展において、重要な役割と体質を持っていたと思う。さまざまなリクルート本が出たが、多くは、リクルートに育てられた立場の人であり、戦後社会の構造の中でリクルートをとらえた本は、あまりなかっただろう。

 著者の大西康之さんは、日経新聞社、日経ビジネスで活躍した後、フリーになって、企業や政治のあやふやな態度を、独自の視点で追求する硬派なジャーナリストとして注目されていた。文章も独特のユーモアがあり、読み手を引き寄せる。その大西さんが「江副浩正」という、得体の知れないところがある怪物経営者を、戦後史の大きなフレームの中で追求したのが本書である。

 60年安保の時代に東大新聞の広告営業からはじまり、多様な人間模様を描きながら、まだ「学生ベンチャー」という言葉がない時代に、手探りでビジネス構造を作り上げていく江副さんの手腕は、見事なものだ。ダイヤモンドが、自分たちのライバル雑誌を創刊すると聞いて、相手の会社に乗り込んで「発行をやめてくれ」と直談判するエピソードなどは、まさに江副さんが、社会の常識と無関係な、やんちゃな学生気質そのものだったと思える。

 そうなのだ、江副さんは、東大の学生時代に月の収入が100万円以上を稼いでいて、大企業に入るより儲かる道を知ってしまった。企業に就職することなく、企業からの費用で大学生を企業に紹介する就職情報のビジネスモデルを築いた。それは、江副さんが就職の体験のない素人だから出来たののだと思う。企業経営も、人事管理も、いわば、経験のない素人だから新しい世界を作れたのだと思う。まさに「素人の時代」の先駆者である。

 その素人が、数千億の売上になる大企業になった時、旧来型のプロフェッシナルな玄人の組織の方法論を要求されて、江副さん焦ったのだろう。組織的な経営よりも、個人で出来る投資とか採用に力を入れていた。個人の方法論と組織の方法論の軋轢がリクルート事件を産んだのかも知れない。

 江副さんから10年遅れて、京都大学などの関西の大学新聞会の連中が上京して、UPU(ユニバーシティ・プレス・ユニオン)を創業し、リクルートの量的拡大に対して、質的追求で就職情報市場に新しい流れを作り出した。就職情報というのは、企業の人事部という、これまでの広告代理店は広告・宣伝部が窓口であったのに対して、全く新しい企業への突破口をみつけたのである。UPUは、更に、その突破口から企業の内部に入り込み、企業の組織体質そのものに触れていった。どういうことかというと、人材採用の広報を行うためには、企業そのもののコンセプトや組織形態、キーマンの思考まで、すべてを把握しなければ出来ないのだ。宣伝部であれば、企業のきれいなところだけ外部に出せばよいのだけど、UPUは、それぞれの企業の奥深くジャーナリスティックに入っていった。これは、営業パワーだけで拡大したリクルートとは違っていた。

 80年代になり、バブルの到来とともに、採用予算が拡大し、リクルートは大きく前進したが、UPUも拡大した。しかし、バブルの崩壊とともに、UPUは、江副さんよりも更に学生気分の抜けない集団であったためか、金融の蹉跌を踏み、崩壊した。

 私は、80年代のUPUの客分みたいな存在であった。仕事をしてたわけではなく、なんだか知らないけど、その集団の中にいた。90年代の前半は、リクルートがそうなった。江副さんが採用した多くの優秀で個性あふれる人たちと交流することが楽しかった。デメジが出来た時に、勝鬨橋のビルで、デメジメンバーの合宿研修が行われたが、最初の講師は僕だった。

 高橋理人くんが関西から東京に移ってきた時に、信國と一緒に紹介された。信國は、まさに江副さんのように、社会のルールからはみ出た、僕にとっては、まさに「リクルート」を象徴するような、ワンパクであった。ある時、高橋さんから「信國が言うこときかないので、橘川さんから言ってやってくれませんか。橘川さんのことなら聞くと思います」と言われて、笑ったことがある。そういえば、リクルートの若い連中に、いろいろ説教したことがあったな(笑)。

 先日のZoom読書会で、大野くんがとても面白いことを言っていて、いろいろと腑に落ちた。

 それは、元リク(リクルート退職者)同士だと、すぐに信頼関係が出来て、NDA(秘密保持契約)も交わさない、ということだった。そうか、元リクの人たちは、一つのバーチャル・カンパニーを作っていて、その中で勝手にビジネスしたり、連携したりしているんだな、と。リクルートは、江副さんが退任して、全く別の世界的な企業に発展したが、江副さんが採用した人材は、今、リクルートを卒業して、全く新しい、見えないリクルート組織を作り出しているのだ、と。それは、慶応三田会のようでもあり、日本型の華僑のようなものでもあるのかも知れない。そういえば、この20年間で、日本の閉塞状況に嫌気をさしてアジアに向かった若い実業家が多いが、投資活動を行った荒井尚英くんをはじめ、元リクのベンチャーな連中のグループが中心にいたのだと思う。Jリーグのチェアマンになった村井満さんも、アジアでリクルート・ビジネスを展開している時に、呼び戻されたのだ。90年代から00年代初頭の元リクという出自が共通することで、見えない共同体への帰属意識が生まれたのだろう。

 江副さんは、日本に、新しい会社を作ったのではなく、新しい学校を作り、そこの卒業生たちが、今、新しいバーチャル・カンパニーを動かしているのだな、と。組織としてのリクルート社ではなく、ゼロから1を作るノウハウと喜びを知っている、元リクの皆さんに期待する。

 しかしまた、信國がいたら、もっといろいろ面白かったのになあ、と繰り返し思う。

▼追悼・信國乾一郎くん
https://note.com/metakit/n/n4965d05483ee


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