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2016年の「森を見る力」

 21世紀とは何か。それは、これまでの世紀とは、全く違う方法論で人類が進む世界である。常に「世紀」とはそういうものである。20世紀は「組織」の時代であった。20世紀までは自然村的な組織が中心であったが、20世紀とは「組織」を明確に自覚し、組織論と機能追求に人々は夢中になった。企業組織と企業的な国家運営が発展を遂げた。そして、その追求は、組織の完成を見た。やがて、完成した20世紀的世界から、少しずつ、組織人ではない「個人」がにじみ出てきた。そのにじみ出てきた「個人」が、組織の方法論に頼らずに、つながろうとしたのが「インターネット」の本質である。

(1)組織と個人の戦い

 組織が頑張り、組織を強固にしようとする、20世紀的な方法は、まだしばらくは支配的だろうが、やがて崩れる。それは、内部を硬直化しようとすればするほど、腐敗して崩れる。

 Uberは、白タクである。タクシーに乗りたい場合は、サイトにアクセスして近隣でUberを登録してある運転手を呼び出し、行き先を伝えると見積書が送られてくる。料金に納得したら、迎えに来てもらう。これは主にアジアなどで、ぼったくりのタクシー被害が多い地域での観光客に受けて、大きく拡大している。料金もクレジット支払いなので、降車する時に、値段が違うということもない。日本は、クリーンなので、そんな不安はないと言うかも知れないが、外国人から見たら、英語が通じない日本社会に不安はあるだろう。オリンピックの時に、Uberが普及していなかったら、日本はなんとIT後進国だと言われるだろう。

 Uberの話題が広がって、すぐに政治家が反応した。これは白タクであり、健全な業界が破壊される。タクシー運転手の雇用が守られなくなる、と。しかし、普通に考えてみれば、Uberが普及して、困るのはタクシー会社だけで、運転手は、自分でUberに登録すればよいだけだ。Uberの手数料を払っても、会社の取り分も、自分の収入になる。会社が「中抜け」されるだけだ。要するに、タクシー会社という「組織」の時代が終わって、運転手という「個人」の時代がはじまろうとしているのだ。

 Airbnbは「民泊」という日本語がつけられたようである。日本は、空き家が急速に拡大しているのだから、これらをネットワーク化すれば、既存のホテル業界の独占体制も崩れるだろう。むしろ、チェーン化する、ビジネスホテルの流れに対して、地域の旧来型のホテルや旅館が、地域の空き家をネットワークして、Airbnbに加盟すればよいと思う。そして、ホテルのフロントでチェックインして、近隣の部屋に送り迎えすればよい。一気に大型の部屋数を持った地域ホテルが出来る。清掃などのノウハウはあるのだし、利用したものだけの利用料を大家に支払いをすればよいのだから、リスクも少ない。客からすれば、まったく知らない個人の家に申し込みするより、地域の老舗旅館を窓口にしてもらった方が安心する。Uberは「会社」を「個人」が見捨てるバターンだが、Airbnbは、地域の零細企業が、全国展開の巨大なフランチャイズシステムと戦う道であろう。

 UberもAirbnbも、個人と個人がつながりっぱなしになったインターネットというインフラが出来て、はじめて成立する。これはネットワーク社会の初期に、男と女の「出会い系」が盛んに起きたことの流れである。男と女という即物的な欲求から、生活のさまざまな利便性を求めるテーマで「出会い系」が、盛んになってくるだろう。

 町には、小さな不動産屋がたくさんある。ガラス窓に不動産情報の張り紙をしてあるから「張り紙屋さん」と呼ぶらしい。賃貸情報はいまではデータベースになっているから、ネットで部屋を探せる。なのに、なぜ、あれだけの店舗があるかというと、「内見」のためだ。借りたい人が不動産屋さんに行くと、気に入った部屋を案内してくれる。合鍵を持っている場合もあるが、空き部屋の入り口近辺に鍵が隠してあって、それで空けてくれる場合もある。あとは、契約の書類を用意してくれるだけである。これで手数料をとるわけだ。すでに、この「内見」を地域の暇のある人に委託するというビジネスモデルが動いていると聞いた。

 要するに、これまで当たり前のようにあった「仕事」というものが、今、大きく崩れつつあるのだ。そういう状況の中で、古い業種や業界を、政府が守ろうとしても、それは、時代の津波に裸身で立ち向かうに等しい。流れを、見る必要がある。それは、「政府」という組織すら、中抜けしかねない、個人の、大きな時代の流れについてである。

(2)仕事とは何か

 人口知能の進化によって、いわゆる「会計士」とか「行政書士」といった「士族」の仕事がなくなる、と言われている。それはそうだと思う。今、起きていることを見れば、容易に想像できる事態である。しかし「森を見る力」からとすると、それでは足りない。もういちど「仕事とは何か」を考えるところからはじめるのが「森を見る力」である。

 人類の作ってきた仕事というのは、大きく分けて2つある。「人のいやがることをやる仕事」と「人を楽しませる仕事」である。そして、今、「仕事がなくなる」と言われているのは、前者の方である。力仕事や、面倒くさい仕事を人はいやがる。そのいやがることを、業務として引き受ければ、人は、対価を支払う。そして、コンピュータ技術の発達は、「人のいやがること」を引き受けるのに、効果的なのである。

 ここ数年、「アクセレイター」や「ハッカソン」とかいう言葉が目立つようになった。事業企画や開発技術の、オープン・コンテストだ。僕は、なんとなく「スター誕生」「イカ天」などの、メディア・コンテストを思い浮かべる。要するに、企業や社会が、漠然とした未来に感じているものは「人のいやがることをやる仕事」ではなく「人を楽しませる仕事」の方に、大きくシフトしていることを感じているのではないか。そういう発想は、これまでの企業組織の論理の中からは生まれにくいものなのである。

 企業組織は、創業のアナーキーなエネルギーの時代を終えれば、あとは科学と数学の世界である。合理的な計算と判断を重ねれば、組織は拡大し、ロードマップを描ける。しかし、それは20世紀的な、「人のいやがることをやる仕事」の時代の産物である。

 若い人たちと話をすると、21世紀になるころから、「ソーシャル・ビジネスをやりたい」「社会的に意味ある仕事をしたい」という人が増えてきた。最初は、回りの大人たちも「何を甘いことを言ってるんだ、会社はそんなところではない」と叱っていたが、どうも、若者の甘い直感の方が、冷徹に未来を見ていたのかも知れない。会社を辞めて、新しい人生を模索している人が増えてきているように感じる。

 NPO法人ETICは、1994年に「就職ちょっと待ったシンポジウム」を開催して話題を集め、若者たちの新しい仕事を模索している団体だが、DRIVEという転職情報サイトを運営している。そこでは「社会的貢献度が高い」「共感性が高いむ「志の高い」というような分類で、仕事を選んでいる。

「人のいやがること」ことをやるボランティアから、「人を楽しませる」ことが、これからの仕事やボランティアの本流になってくるはずである。

 年寄りは消え、若者は成長し、新たな仲間が生まれてくる。常に、未来は、新しい者たちの手と直感に委ねられている。

(3)ミンネの衝撃

 minne(ミンネ) という名の、ハンドメイドマーケットのサイトが大人気である。Amazonの無料アプリでは一位になっている。これは、手作りのアクセサリーや家具を販売するサービスである。かつては、ヤフオクで行われていたものを、独自のサービスとして立ち上がった。

 聞いたところによると、あるデザイン会社で、女性社員が急に退社するというので理由を聞いたら、ミンネで売れっ子になって、生産が間に合わないとか。美大で造形などを学んでも、企業組織に入って、その能力を発揮出来る人は限られている。手作りで、自分のマインドでアクセサリーを作り、それに共感する小さなマーケットを作ることによって、生活出来るようになる時代がはじまりつつある。

 現代の教育は、学生時代に「個性を伸ばせ」と言いいながら、社会に出て企業に入ると、個性を活かせる業務にはつけない。そうした組織から個人がにじみ出てくる。10年前の「暇つぶしの時代」(平凡社)で「オーナーシェフ型ビジネス」と言った方法論だ。

 ヤフオクも、出来た当初は、「買いたい人より売りたい人が多い」という悩みをかかえていた。ミンネや、それに続く、いくつかのハンドメイドマーケットには、猛烈な数の出品者がいて、それはそれで、新たな競争社会が生まれている。それは、スポーツに似て、個人の力が純粋に問われる世界なのだろう。

 やがて、個人や小さなグループのマンションメーカーが作った、電気自動車が、ハンドメイドマーケットに現れてくるだろう。今、一人ひとりが、何に努力すればよいのか、この流れを見れば、明確であろう。

(4)ご案内

 「森を見る力」は、橘川が私塾、リアルテキスト塾で教えていることである。17期生を募集中です。

 また「情報広告研究会」も2016年1月から開始します。こちらは、橘川プロデュースによる、ゲストのレクチャーになります。

 橘川の著作「森を見る力」は、晶文社で書籍になっています。


 

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