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Plagという前線

plagで、深呼吸する言葉を世界に配信するのは、なかなか気持ちよい。深呼吸する言葉に最適なメディア。p2pで、言葉がどのように伝わるか体現出来る。

◇Plagで体感することが出来るのは、情報の自立性である。出版や新聞や放送という旧来型のメディアに情報は、情報そのものの価値は大事だが、受け取る側の人間は、漠然とした情報発信者の権威を前提に、情報を受け取っていた。出版社や新聞社や放送局の権威を、無意識のうちに感じていて、そこから発信する作家や批評家やタレントは、まず「価値があるもの」という前提で受け取っていた。それが、一方通行メディアの特性である。

◇インターネットが登場して、「P2P(はpeer-to-peer)コミュニケーション」のあらゆる模索が始まった。大作家の代わりに普通の人がブロガーとして登場し、タレントの代わりにユーチューバー(YouTuber)やニコ生の生主が登場した。これはこれで、旧来型のメディアの権威をパロディ化することに成功したのだと思う。しかし、それが、テレビや新聞に奥目もなく出るようになっては、本末転倒というものである。

◇TwitterやFacebookのSNS情報システムの波及を目覚ましいが、情報が自立しているかというと、まだ背後にある情報発信者への信頼が前提になっている。Twitterは、より情報の自立性が際立っているが、それでも、まだ情報の背後にあるものが重要になっている。

◇もちろん、情報とは、発信されたものと発信するものの一体によって、はじめて価値となるものである。しかし、私たちが進もうとしている情報化社会は、情報が大気のように地球の表層を満たし、その中で、呼吸するように生きる社会である。空気に所有がないように、情報にも所有はない。少なくとも、所有を強調するような環境ではない。

◇Plagについて、は、開発者たちのメッセージを読んでみよう。

以下は、Google翻訳によるものである。(原文ママ)

Plag は、全世界と通信するための機器です。 いいえfriending、ノー以下:数十万人は既に実施されているアルゼンチン、ニュージーランド、イタリア、中国、エジプト、さらには南極からの人々があなたの記事を参照してください、あなたに話すことができます。

あなたのコンテンツがウイルスのような、最も近いユーザーに広がります。 すべての感染したユーザは、指数関数的に更なる情報を広めることができます。 それとも彼らは自分自身に情報を保持することによって流行に抵抗することができます。

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◇Plagは「カード」と呼ばれるコンテンツを、個人が発信し、それが、GPS経由で一番近い人に送信され、その人が、その情報に価値を見出したら、上にスワイプする。価値がないと判断したら下にスワイプする。上にスワイプさせたカードは、また近くの人に送信される。上にスワイプすることをSPREAD(拡散)と呼び、下にスワイプすることをSKIP(削除)と呼ぶこうして、個人のフィルターを通した情報だけが拡散されていく。

カード

それは私たちが記事を呼んでいるものです。 あなたは、テキスト、写真、動画やリンクを送ることができます。 すべてのカードは、独自のコメントセクションを有しており、それは大陸間で前後に通過するように、それは、国際的な議論を生成します。

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◇僕は、今から30数年前に、紙メディアで全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊した。その時は、毎日、数十通から数百通の投稿が編集長である僕のところに集まってきた。それを、整理編集して誌面化していったのだが、紙メディアの限界で、全部載せきれないので、没が出てしまう。没に対する対策は、ひとつは「メディアの面積」と呼んだが、やがて「無限のメディアの面積を持つメディア」が登場するだろうことを想像して、電子メディアの勉強会を開始した。1984年に東洋経済新報社で刊行された「データベース 電子図書館の検索法」(市川昌浩、滑川海彦、下中直人共著)は、その流れの成果である。もうひとつは、リアル・チャットルームとしての「オフ会」の実施である。ポンプの時に「ニュートーキングパーティ」を毎月日本各地で実施し、ポンプ以後は「Heart party」というサービスを数百人のメンバーと推進した。

◇投稿雑誌における「没」の問題は、参加型メディアを追求するにあたり、大きな問題だった。そして、最終的に見えてきたのは、編集長が選ぶという構造そのものの否定であり、誰もが投稿者であり、誰もが編集長であるようなシステム・イメージを持った。インターネットの登場は、僕にとっては「ポンプ」ではなく、「ポンプの投稿箱」が全世界的に登場したのだと思った。その投稿箱から、投稿を選んで、誰もが自分なりの「ポンプ」を編集することが出来る。

◇Plagの登場は、インターネットが新しい段階に来ていることを感じさせてくれる。インターネットの登場によって、これまで情報の発信を企業や政府や知識人に独占されていたものが、解放された。誰もが(原理的には)自由に世界に向けて自分の意見や感情を表現出来るようになった。その価値を認めつつ、時代は、個人が「表現者」であると同時に「編集者」になることを要求している。編集者とは、大事にものを育てると同時に、不要にものを大胆に切り捨てていく人である。Plagをやっていると、ポンプの投稿箱から、投稿を選択していた時代のことが思い起こさせられる。

◇さて、時代は変わりつつあるが、そんなに簡単なものではない。インターネットは新しいが、誰もが、個人として、新しい時代に突入しているわけではない。むしろ、古い観念や方法論が、個人の可能性をいつでも奪うように、巧妙な罠をしかけている。

◇古い価値観と方法論の人間がPlagを使えば、自分が理解出来て、自分を甘やかすような情報ばかりを、伝染させるだろう。全体世界のことを意識して、この情報が世界にとって必要かどうかではなく、気分で選ぶだろう。「周辺には、少しも理解されないけど、自分にとって大切な想い」は、伝染しにくくなるだろう。いわゆるポピュリズム(大衆迎合)の罠も待ち受けている。それでも、僕は、このPlagの方向性を圧倒的に支持する。

◇政治の世界における議員代議員制の問題は、とっくの昔から問題点を指摘されてきた。代理人としての「おらが村の代表」「おらが組織の代表」に政治をまるごと委ねるのではなく、一人一人の生活者の意志が、個別の政策に賛否を投じられる直接民主主義は、もはやビジョンの段階ではなく、具体的なシステム仕様書作成の段階に来ていると思う。誰かが政策をPlagに投稿して、それが大きく広がったものを、議題として採用すればよい。

◇しかし、それが実現しても、問題は、一人一人の生活者の側にある。僕らが、単なる文句をいうだけの旧来型の市民であっては意味がない。表現者であると同時に編集者になるべきである。そして、政治家であると同時に官僚であるべきだと思う。分業された社会の終わりを意識してこそ、トータル意識を持った、情報化社会の市民像が浮かび上がってくる。情報の自立は、背後の情報発信者の自立も合わせてのものだろう。

▼ついに南極にも到達した。


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