見出し画像

◇僕らが「ジョブズの魂」から学ぶもの


僕らが「ジョブズの魂」から学ぶもの

 30年ぐらい前、ジョン・レノンの死が伝えられた日も、静かなひんやりとした朝だった。ニューヨークのダコタ・ハウスの玄関で暴漢に射殺されたニュースは世界中に、大きな衝撃波として伝わった。若い時から、音楽シーンの変革の最先端を進み、世界中の多くの人間のライフスタイルや人生観までにも影響を与えたミュージシャンは、40歳の若さで、僕らの現実世界から消えた。

 スティーブン・ポール・ジョブズの死の情報は、レノンの時と同質な感覚を覚えた。悲しみよりも先に、彼がやってきたことを想い、時間軸でトレースし、自分自身の時間軸と重ね合わせたりした。身内がなくなるのとは別の、同時代を生きたものとしての感謝の気持ちの方が強いのかも知れない。

 ジョブズは、ジョン・レノンとボブ・ディランが好きだった。レノンもディランも、どこにでもいる不良少年や落ちこぼれから始まり、自らの心のおもむくままに表現活動を行い、影響力を増し、やがて社会的にも確固たる地位と評価が与えられた。レノンは英国で勲章をもらい、ディランは今年のノーベル賞にノミネートが噂されたりしている。

 ジョブズもレノンと同じように、何歳になっても、悪ガキのような口の悪さで有名だった。古い社会では、子どもは反抗しても、やがて挫折して、大人になって社会常識を学び、今度は子どもたちに反抗されて乗り越えられていく、というものであった。しかし、ジョブズもレノンも、悪ガキのまま社会に出て、そのまま年を取っていったが、少年の時のシンプルなハートと、好奇心を失わなかった。レノンはギターを持って世界に出ていったが、機械好きのジョブズ少年は、ゲーム機器の会社からパソコン開発への道を歩んだ。

アルバムを発表するようにビジネスを展開した

 ジョブズのプロダクツが、それまでのエンジニアが作ったものと違うのは、それが単なる製造機械ではなく、レコードアルバムのように、ジョブズの表現物になっていたことである。iPadが生まれた時、ジョブズは、「僕の人生で最高のものが出来た」と言った。それは、単に性能の良い商品が出来たとか、売れる商品が出来たというのとは違う、「自分の表現したいプロダクツが出来た」という風に、僕らは受け取ったはずだ。まさに「ジョブズの魂」なのである。

 パソコンの文化が、単なる製造機械の歴史ではなく、カルチャーの歴史であるとしたら、ロック・ミュージシャンがアルバムを発表したように、ビジネス展開したのは、ジョブズだけだろう。

 「Apple I」「Apple II」は、ポップなデザインと斬新なコンセプトで、ジョブズのデビューを飾った。かじりかけのリンゴは、ビートルズへの想いを継承する意志のようにも思えた。20代で長者番付に乗るようになり、ロック・ミュージシャンの栄光のような夢も体現した。

 やがて「Lisa」を開発し、「Macintosh」の発表で、世界中に衝撃を与えた。「Macintosh」のグラフィカル・ユーザー・インターフェイスは、それまで論理的に組み立てられていた操作方法を、感性の自在性で扱うものであった。それは、まるで、新しい時代のシンセサイザーのように、パソコンを使って時代の情報を演奏するような楽しみに、僕らを導いた。ジョブズと同時代の巨人であるビル・ゲイツは、驚異的な知力と政治力でもってOSを支配したが、ジョブズの方が、より身軽に時代を泳いだように見える。ジョブズが天才だとしたら、ゲイツは秀才という分け方が出来るのかも知れない。

 あまりの悪ガキぶりに、米アップルを一度追い出され、1986年に、CGのピクサー・アニメーション・スタジオをはじめたり、ウェブサーバー時代を予見したワークステーションの「NeXT」を開発したりと、時代の先を読む力は驚異的と言わざるを得ない。それは、時代の流れを強く感じているものしか出来ないことだと思う。

 2000年に、アップルのCEOに就任してからのジョブズの活動は、アップルから離れていた時期に溜め込んだアイデアをすべて実現するかのように、予定調和的なスケジュールで進行した。iPodでソニーのウォークマンの領域に切り込み、iPhoneでノキアをはじめとする世界中の携帯電話メーカーに対峙し、iPadで、パソコンメーカー全体を相手にする戦略で全く新しいプロダクツを提供した。そして、自社の製品群をすべて端末にするようなiTunesにより、音楽ビジネスを中心としたコンテンツビジネスも、取り込もうとしたのだ。このままいけば、テレビはもちろん、あらゆる白物家電や自動車みたいな製品まで、ジョブズのコンセプトで覆い尽くされたのではないかと思った。世界を自分のイメージで染めたかったのだろう。

ビジネスシーンにまみれながら夢を忘れない大人がいる

 少年は夢見る。それは、世界を自分の想い描くようにリデザインすることである。しかし少年は、成長するにつれ、その途方もない夢を現実の壁で崩され、大人が作った一部の業界範囲や会社内部の中で生きる道を選択する。しかし、中には、現実のビジネスシーンにまみれながらも、夢を忘れない大人がいる。夢を忘れないことをロックと呼ぶ。何もないところから、想像もつかない作品を生み出し、多くの人からの喝采を浴びたジョブズは、もういない。他人の夢を継承することは出来ない。アップルが、これからも未来への夢を実現していくとしたら、それは、ジョブズと同じような人間が、ゼロから開始することでなければならない。それが期待出来なければ、僕たちは、ジョブズの最高傑作アルバムであるiPadを楽しみながら、新しいジョブズの登場を待たなければならないだろう。

 ジョブズのプレゼンでおなじみの、黒い長袖のタートルネックが、イッセイ・ミヤケの製品であり、ジョブズがある日、数百着の注文をしてきたというエピソードは有名である。気に入ったものはとことん気に入り、自らのスタイルにしていくというジョブズの人間性は、それがそのまま個性となった。日本のパートナー企業に対して要求してきたジョブズの契約条件は、とてつもなく自分勝手なものであり、呆れるほどだと言われているが、それも「相手がジョブズだから」と変に納得してしまわせるところも、ジョブズは自分の妥協しない性格を含めて、自分自身を最大限、利用し尽くしたのだと思う。

 ジョブズから学ぶものはプレゼン技術でも、強引な交渉力でもない。一人の人間が自分が最初に感じたものを忘れることなく、誤魔化すことなく、追求し続けること。ジョブズは死んだが、僕らはiPadという名前のジョブズの魂と共に、今日も生きるのだ。

橘川幸夫の無料・毎日配信メルマガやってます。https://note.com/metakit/n/n2678a57161c4