追悼・蓮井唯敏

 台風一過で、異常な暑さの中の東京。今朝、蓮井くんが亡くなったことを知った。彼の姿、表情、声、服装が蘇る。とはいっても、蓮井とはすでに半世紀近くも会っていない。今から半世紀前、彼は麻布高校にいて、学園闘争の中で、退学処分になった。僕が会ったのは、彼がすでに退学して、別の高校(代々木高校)に通っている時だ。1970年だろう。僕は大学生、彼は高校生で、僕がたまたま出会った麹町中学の全共闘生徒だった古澤正夫の仲間だった。他にも何人かの仲間がいて、僕は別に学生運動の闘士ではなかったが、なぜか、いつも彼らと一緒にいた。古澤、蓮井、あと、明星高校の永井ヤユカたちと、ある時期、ほとんど毎日のようにつるんでいた。彼らより少し上だが、武蔵高校を退学になった小林くんもいた。小林くんは、四谷のJAZZ喫茶イーグルで、彼が友達と手塚治虫論を議論していたので、声かけて友人になった。みんな秀才や天才たちであった。

 1971年に僕は、子ども調査研究所の風呂場を借りて、「闇縛り」という、真崎・守のマンガに出てきたシーンをそのまま体験した。真っ暗な闇の中に
一週間閉じこもるというものだ。ちょうど、5月のゴールデンウィークで子ども調査研究所が休日になるというので、その期間を借りたのだ。その時、闇に入った僕の外にいて、見守ってくれたのが、古澤や蓮井たちだ。僕は政治の話はほとんどしないのに、なぜか、少し上の兄貴分みたいになった。

 とても学園闘争をして退学処分になるような荒々しい性格ではなく、むしろ大人しく品があって、よく古澤に無茶振りされていた。メモ魔で、なんでも記録していたように思う。優等生の麻布の学生という感じもした。

 麻布高校の学園闘争は、もともと自由主義の校風だったところに、強権的な校長代行になって、生徒たちの闘争に対して私設ガードマンを雇ったり、機動隊導入をしたりして、混乱に拍車がかかった。そして、蓮井たちの処分撤回運動がはじまり、なんと、蓮井の退学処分が取り消されて、復学したのだ。麻布というのは凄い学校だな、と思ったが、その強圧的な校長は、学校の資金をちょろまかした罪で逮捕、起訴されて、投獄されてしまった。まるで、学園もののドラマのような展開になったのである。

 蓮井が復学してからは、あまり会うことがなくなった。僕もロッキング・オンの創刊準備がはじまったので、そちらの仲間と大半の時間を過ごすようになった。蓮井は、その後、大学に進んで歯医者になったと聞いたが、再会のタイミングを失った。

 ガンで入院したというので、お見舞いに行こうと思ったが、本日の訃報である。可愛そうだし、残念だが、良く頑張って生きた、と褒めたい。

 なお、あの時代の麻布高校にいて時代の空気を吸った人は、例えば、以下のような人たち。前川喜平、古賀茂明、藤原帰一、中川昭一、吉原毅(城南信用金庫の元理事長)、古川享(元マイクロソフト日本法人会長)など。

 蓮井はそういうコースには進まなかったが、一度、ゆっくり話したかったな。大学生の僕の話をいつも真剣に聞いてくれていた蓮井の視線が忘れられない。ロングヘアーにパンタロンという、蓮井の姿も、当時の新宿や青山の街の風景と重なって思い出す。

 ご冥福をお祈りいたします。


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