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バブル/永野健二・著/新潮社・刊


「バブル」というタイトルの本を読んだ。サブタイトルは「日本逃走の原点」。著者は、日本経済新聞社で長く記者を勤めた永野健二さん。僕は90年代に、永野さんが編集長時代の「日経ビジネス」でコラム記事を書かせていただいたこともあり、永野さんの後輩たちの記者たちとも多くお付き合いさせていただいている。

 1980年代のバブルとは何事であったのか。そもそも歴史とは何事であるのか。本書の巻頭に、明治以降の我が国の近代化の中で、渋沢栄一の「論語とそろばん」というテーゼに代表される「渋沢資本主義」、文明いう言葉を定着させた福沢諭吉の「グローバルスタンダード」、そして岩崎弥太郎の「財閥資本主義」という、資本主義の3つの潮流があり、その拮抗のダイナミズムが日本近代を活性化させたという指摘がある。現在の日本を考える上でも、大事な指摘だと思う。また国内の活性化がやがて戦争につながっていく理由も考えてみたいと思った。

 戦後に復活した渋沢資本主義は、「興銀」「大蔵省」「新日鉄」が中心であり、同じく戦後の「グローバルスタンダード」「財閥資本主義」の流れも、つながっているのだろう。80年代という時代は、日本の近代化によって大きく成長した社会が、耐用年数を超え、内部腐敗が起きたという指摘もあり、バブル時代が、日本の大いなる到達点であり、転換期なのだろう。

「はじめに」の部分を読んでいると、何かスケールの大きな歴史書を読むかのような気持ちにさせられた。しかし、本文を読んでいくと、こうした大きな時代認識を背景に、その激流の中にうごめく小さな小さな個人の内面に分け入っていく、内科医のようなジャーナリストの視点で、バブルにうごめく人たちの実像が描かれていく。

 大蔵省の佐藤徹、ミネビアの高橋高見、山一證券の成田芳穂、検察庁の田中森一、阪和興業の北茂と寺田俊三、リクルートの江副浩正、イアイの高橋治則、光進の小谷光浩、ピックアップしていくときりがないが、短い文章で紹介されるバブルの紳士たちが、とても魅力的だ。それは、この短い文章の背後に永野さんの膨大な取材データと現場感覚があり、僕らは一番美味しい、絞り上げた果汁を読んでいるからだろう。また、何気なく書かれている文章に、おっと思うようなことが忍ばせてある。例えば、孫正義が困窮していた時代に小谷光浩が水面下で支援をしていたというような文章がある。

 80年代は、60年代の昭和元禄とも言われた高度成長の過激な到達点であり、明確な敵国も見えない世界大戦であったのかも知れない。そうした時代の加害者であり被害者であるような人々が、それぞれの欲望と思惑で生き抜いていた。今は誰も見向きもしないが、この時代を正面から向かい合うことなく、僕らの未来はない。それを見ないふりして進めば、また再び、愚かな混乱が待ち受けているだけである。本書の各所に安倍政権への不安が語られているが、それは単なるイデオロギー的なものではなく、僕らが体験した貴重な時代を踏まえようとしない、その鈍感さへの不安なのだろう。

 野村證券の田淵節也を最後に「清濁併せ呑む」という言葉を使う経営者がいなくなった、とある。僕らの社会はまだまだ不完全な社会であり、個人や組織のエゴイズムに翻弄される社会である。そのことを自覚すれば「清濁併せ呑む」のは当然だろう。にも関わらず使われなくなったのは、一方で、「濁」に居直るようなブラック企業があり、一方で「濁」を徹底的に隠蔽して、システムだけの「清」を演じている、誰も責任を取らない無自覚な組織が大きな勢力として温存されているからだろう。求められているのは、清濁に自覚的な、真に人間的な経営者であり、組織形態だと思う。

 かつて、戦後初期のメディアの原型を作った小谷正一は「喝采」という言葉が好きだった。広範囲の大衆からの喝采を引き受けることが、経営者やメディアマンの役割だと思っていたのだろう。そして社会が成長し、成熟していく中で、個人の時代があり、天性の能力と時代勘のある者が、社会の頂点に登りつめられたのが80年代のバブルの時代だ。本書に登場する時代のキーワードは「熱狂(ユーフォリア)」である。それは喝采を浴びることのない、時代のスターである。本書を読むことによって、僕らは僕らの内部にもあった、バブルの時代の熱狂を思い起こすのである。バブルの紳士たちは、もしかしたら、「私」でもある。

 永野さんは経済記者だが、経済を動かすのは一人の個人であり、むしろ、個人の生き方そのものに関心があったように思う。あの時代のさまざまな登場人物の顔や仕草を思い浮かべながら、歴史を反芻しながら、あとがきの最後で、奥様にありがとうと述べているところで、普通の感謝文だが、なぜか、ちょっと、うるっときた。

 

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