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書評・堕ちたバンカー/児玉博 ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4093887625

堕ちたバンカー/児玉博

 目が悪くなって、もともと、遅読な私だが、児玉さんから新刊が届いたので、寝る前に読み始めたら、面白い。報道と言うより、これは人間を描いた文学だな。児玉さんは、かつて、取材者に対しては容赦ないことで知られる堤清二のインタビューで、堤さんのガードを破り、涙ながらに父・堤康次郎への想いを語らせ、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。取材対象者と、仕事の後でも、個人的な関係を結べる、稀有なジャーナリストである。もちろん、筆致は容赦ないので、敵対関係になることも少なくないだろう。本書も、そうして知り合った取材対象と、長く付き合い続けて得た、切ない、時代の証人の記録である。

 1985年6月に、ニューヨークのプラザホテルで行われたプラザ合意は、アメリカの巨額な対日貿易を解消するために、ドル高円安の方向性が決められた。日本は、敗戦の荒野からアメリカ(GHQ)の指導で戦前までの封建主義的な制度や思考が修正され、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦争景気をカンフル剤にして、高度成長を突き進む。その結果として、本来、アメリカ文化であった自動車や家電を大量に売りつけ、ニューヨークの不動産を購入して、アメリカ人の怒りを買っていた。

 それまでも貿易黒字で好景気だった日本は、ドル高円安政策で、更に金余りの状況になった。それが「バブル」である。今にして思えば、あの時の「金」は、イギリスにアヘン戦争を仕掛けられた中国のように「アヘン」のようなものであった。庶民も権力者も、金の魔力に酔った。肉体労働的に働くよりも、金利の操作で利益を得ようとした。国重淳史は、そうした時代の中心にいた住友銀行の、その中心にいた男である。

 この時代の感触を知らない人間には、本書の意味がわかりにくいかも知れない。私は当時、新宿の地上げ屋にいた。常に時代のホットな場所にいる、というのが人生のテーマだから(笑)。社員数人の小さな会社だが、新宿西口の再開発地域の入り口あたりの角地のビルで、日夜、巨額の資金が動いていた場所である。とは言っても、私が、不動産取引をしていたわけではない。若い時から新宿ゴールデン街に通っていたが、ある店に、その不動産屋の社長が地上げの調査に来ていて、店のマスターと懇意になり、不動産とは別の新しい事業をやらないかと声がかかり、私にも声がかかった。新宿ゴールデン街は、駅からも遠いし、それほど好立地ではなかったが、権利が複雑にからみあっていた地域で、そこを地上げ出来たら、不動産業界の名誉になるというので、さまざまな会社が入り込んでいた。もちろん、その背後には、大手不動産や金融会社が金主として存在していたのだが。

 地上げ屋というと、暴力で立ち退きを迫ったり、ダンプで家に突っこんだりと、やくざ映画のシーンみたいなイメージが浮かぶと思うが、そういうのは、三流の地上げ屋である。私がいた地上げ屋を含めて「新宿3大地上げ屋」と呼ばれていた企業のうち、2つの地上げ屋の社長を知っているが、それぞれ、人の良い、温かみのある人柄であった。地上げをする対象の地主や借家人は、高齢者が多く、彼らに暴力や金力で迫っても、かたくなに反発するだけである。そうした二流、三流の地上げ屋の中で、人の良い不動産屋がいくと、胸筋を開いてくれることがあったのだ。本書の国定さんの振る舞いを見ていると、あの時代、国定さんより随分と小粒だが、人間関係を上手に使い、悪巧みに長け、度胸もあり、女好きでもあるが、どこか憎めない人間がたくさんいたように思う。

 私の知ってる二人の地上げ屋は、バブル崩壊とともに、それまで借り放題であった金融機関からの貸し剥がしにあい、それぞれ1000億円の負債とともに、破産した。社長がよくいっていたのは「日本でビジネスをやるには、いくつか押さえておかなければならないツボがある。それは、政治、経済、警察、マスコミ、アウトローである」と。そうした世界の、一癖も二癖もありそうな人たちが、毎日、出入りしていた。

 1985年は、日本の第2の敗戦であり、戦後の焼け跡闇市とは別な意味で、熱狂の時代だったのだと思う。かつて、渋谷には安藤昇率いる安藤組が大学出のインテリ愚連隊として、頭脳と度胸で修羅場を自ら作り、ドラマを繰り広げてきた。本書を読んでいて、バブル時代の、数々の秘話が、エリートの世界で起きていた修羅場のリアリティとして感じることが出来る。

 時代はいつになっても組織の権力闘争があり、その中で、自らの才覚と度胸だけで人生を疾走した、組織にはなじまない人間がいるのだろう。私が愛してきた人間は、常に、組織に所属しながらも、所属からはみ出さざるを得なかった連中てある。時代の従軍記者である児玉さんの関心も、また、組織のスケールや歴史よりも、そこにうごめく人間そのものにあるのだろう。

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