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日本ボクシング連盟・山根会長の辞任問題、日大・田中理事長問題などにまつわる日本型「組織」の本質的構造について。


1.営利団体と非営利団体

山根会長が辞任を表明

 日本ボクシング連盟の山根明会長が、選手への助成金の不正流用や暴力団元組長との交際などが問題になり、辞任した。日大アメリカンフットボール部の悪質反則問題が発端になり、日大の田中英寿理事長の権力構造も問題になっている。

 日本ボクシング連盟は「一般社団法人」であり、日大は「学校法人」である。これはどういう組織構造なのか。

 社会的な組織には、大きく2種類ある。営利団体と非営利団体である。

 営利団体というのは、会社法に基づく株式会社や 持分会社(合同会社、合資会社、合名会社)などである。一般的には株式会社で、株主から委任を受けた人間が執行責任者となって経営を行う。経営者を決めるのは株主で、過半数の株式を握った者が、その組織の最高権力者である。

 非営利団体というのはその名の通り、営利を目的としない組織なので、株主というものはいないし、会員の選挙によって選ばれた理事が組織の運営にあたる。

 株式会社は、1株式が1投票であるような選挙制度のような統治構造だから、株式会社の組織権力を支配しようとすれば、過半数の株式を取得することで可能になる。そのため、会社を乗っ取るには、株式を取得して大株主になればよい。これまでもさまざまな企業乗っ取りの事件があったが、資金を持つ者が強いという、ある意味、合理的な制度である。

 しかし、非営利団体というのは、株主がいない。理事会で選ばれるから、理事会の人間関係を支配した人が、会長になるという、極めてアナログな関係性になる。ここに日本的な村の感性が持ち込まれ、「子分の面倒をよく見る親分肌の人」「もめごとを力技で解消してくれる人」「外部との交渉術に長けて資金を組織に持ってきてくれる人」などなど、外部からはよく分からない選考基準で選ばれる。そして、会の運営ルールを決めるのは理事会だから、親分の意向で、代々、跡継ぎが決まっていく。

 だから、恫喝や懐柔やスキャンダルをマスコミにリークするとか、あらゆる人間的な裏技で、権力構造が維持されているのだろう。

 そして、営利法人である株式会社等と異なり、一般社団などは、設立者に剰余金または残余財産の分配を受ける権利を与えることはできず、そのような趣旨の定款は無効となる(一般社団・財団法人法11条2項)

 つまり、山根明会長は、会長でなくなれば、協会の資産を持ち出すことはできない。ただの人になるだけだ。だからこそ、余計に、会長職に執着する。

 同じく非営利団体である学校法人も、同じである。日大の田中英寿理事長の加計学園の加計孝太郎理事長も、理事長を辞職したら、大学の資産とは無関係になる。

 これは、昔から、よく聞く話であるが、地元の資産家が、ありあまる資金を使って、道楽のつもりで学校法人を設立する。本人は、自分の事業の関連子会社みたいな気持ちで設立するのだが、実際は、学校法人の設立運営の費用は、その企業が寄付する形になるので、子会社のように支配することは出来ないし、資本関係でコントロールすることは出来ない。資金は、全額、学校に寄付するだけで、親会社になれるわけではない。そのため、理事会でコントロールするしかないのだが、代替わりが続くと、創業家に対する忠誠心のある理事以外も入ってきて、これまでも、多くの学校の乗っ取り事件があった。株式会社のように資本の力で、会社を乗っ取るのではなく、理事会の構成員の過半数を味方にすればよいので、陰謀家たちが暗躍する世界になる。

 最近では、城西大学の乗っ取りが話題になってる。

城西大学で起きていた「理事長の椅子」巡るクーデター 元「文科省次官」の乗っ取り

2.非営利団体とは何か

 NPO法制定の中心にいたのは、故・林雄二郎さんだが、当時、林さんから聞いていたのは、「本来、非営利団体というのは、国がやるべき事業だが、国は図体がでかくて時代に対応するのに時間かかるから、代わりにやる組織。だから、流れが出来たら、国に渡すか、営利団体として独立すればよい。永遠に助成金もらい続けるNPOというのはおかしい」というようなことだった。

日本NPO学会の概要

 林さんは戦後の経済安定本部から経済企画庁まで官僚として過ごした。退官する時に、先輩たちに組織が関係する非営利団体に天下りを勧められ、断ると「君が拒否すれば、その次の後輩たちが困ることになる」と叱責されたという。大学を含めて、多くの非営利団体が、公的組織の天下りの受け皿になっていることも忘れてはならない。

 明治に出来た、数々の私学も、国がやるべき教育事業を、民間がやることによって、多様な価値観や学問の展開を目指したものである。かつては、私学では「建学の精神」が憲法であり、学問の中身が力であった。だから、学問・真理の追求をしている教授たちの教授会に力があった。しかし、戦後になり、大学経営が最重要課題になり、理事会中心の経営が行われている。

 六大学を見ると、どこも、超高層の校舎建設が進んで、上智などは、校舎に、あおぞら銀行の本社が入居した。高い受験料と授業料、国からの補助金、更に学校法人は、納税義務者に含まれていない。つまり、学校法人は免税なのではなく、最初から納税義務がないのである。こうした条件で得た利益を、教育の中身に費やすのではなく、学校法人の利益確保と資産拡大のために、近隣の用地を買収したり、校舎の建設費に使っている。大学は固定費のかかる専任教授の雇用を減らして、非常勤講師の雇用を拡大している。それは、もう、年金生活者のお小遣い程度の金額である。だいたい、少子化で生徒数が減るのに、なんで超高層ビルで教室だけを拡大するのか。

 少子化対策として、留学生の拡大を国は進めている。インターネット以後のグローバルな環境の中で、留学生の拡大は意味のあることだろう。しかし、それは、学校経営の安定化のためにあるのではない。大学は、留学生を対象にした、教育プログラムを、本気で考えるべきである。

 日本の近代化は、「公的組織」と「私的組織」の役割分担で発展してきたのだろう。しかし、その「公」と「私」の間に「非営利団体」というものが成立し、それがそれぞれ強力な村組織として存在していることが、ボクシング協会や日大などの事件を明るみになった。

 どこかで、根本的に整理して、やりなおすことが必要なのではないか。
公立大学と私立大学をいちど、全部、再スタートさせて、国民の共通意志(税金)で運営する公的大学と、国民の個別意志(授業料)とにだけ分ける必要があるのではないか。

 中間的な「非営利団体」は永遠の組織ではないということを理解すべきだと思う。

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