ロッキングオンの時代。第ニ話 レボルーション


 「渋谷くんですか?」と僕はDJブースの男に聞いた。 「ああ、そうです、橘川くんですね」と中の男は答えた。

 渋谷は、日本人離れした骨格と毛深い雰囲気の男であった。えらく痩せているようにも思えた。洞窟のような眼からギラっとした視線を向けた。何か、アメリカのロック・ミュージシャンのようですらあった。渋谷と会うのはこの時が初めてである。

 当時、僕は国学院大学の学生であったが、竹橋の毎日新聞社で編集事務のアルバイトをしていた。夕方から毎日新聞へ行き、最終の12版が校了になる深夜2時頃まで働いて、地下5階にある、通称「毎日温泉」という風呂に入り、裏口にトラックでやってくるラーメン屋さんのラーメンにニンニクをたくさんいれたのを食べてから、3階にあった仮眠室で寝るのだ。朝は適当に帰ってよいので、そこから大学に行ったり、家に帰ったりする。竹橋から神保町が近いので、よく古本屋街に寄った。水道橋方面へ向かう白山通りに「ウニタ書肆」があった。ウニタとは確かイタリア語で「統一」という意味らしく、学生運動の機関紙や、ミニコミなどが置かれていた。ここは当時の政治や文化の最前線の資料が集るところだったので、僕は定期的に通っていた。

 店内は、サークルの部室のように乱雑にアジビラや機関誌が積み上げられていた。政治的な媒体だけではなく、アングラ劇団のパンフレットや「名前のない新聞」のような中央線沿線のヒッピーたちが作っていたレベルの高いミニコミもあった。そうしたサブカルチャーのコーナーに「レボルーション」というロックのミニコミがあった。30頁ほどのタブロイド印刷の冊子であった。僕は、時々ミニコミを購入することもあったが、ほとんどは立ち読みですませていた。立ち読みするだけで、時代の空気がどんどん吸収されるようなメディアの倉庫であった。レボルーションを立ち読みしながら、なんだか普通の学生たちが作っているミニコミよりも少しレベルが高いような気がした。内容はアメリカのウェストコーストの音楽から、レッドツェッペリンまで、多様であったが、無名のライターが熱気を持って書いてあるのが伝わってきた。僕は、そのミニコミを買った。

 四谷の家に帰ってベッドに寝転びながらレボルーションを読んでいると、編集長は、水上はるこという静岡出身のフリーライターであることが分かった。その後、「ミュージックライフ」の編集長になる女性だ。投稿を募集していて、僕の買った号に二人の投稿者の原稿が載っていた。それが渋谷陽一と岩谷宏である。渋谷陽一は気骨な文体でロックシーンのことを書いていた。岩谷宏は、なんだかアクロバットな文体で、やはりロックシーンのことを書いていた。僕はその頃、ある種の投稿少年で、雑誌の投稿コーナーによく投稿していた。何度か掲載されたことがあり、それは受験時代の「Z会」の会報の読者頁だったり、読書人という書評新聞の読者欄だったりする。二人の投稿原稿を見て、むらむらと投稿欲がわきあがり、レボルーションに原稿を送った。何を書いたのかは詳しくは覚えていないが、当時、僕は、大学の友人たちと「アルカロイド」というミニコミをやっていて、政治的な季節を背景にして、ロックの反逆性について書いたのではないかと思う。

 投稿はしたが、返事も反応もなかった。すっかり忘れていた頃、渋谷陽一という男から電話があった。レボルーションは行き詰って解散したので、新しく雑誌を作りたいと思うのだが、協力してくれないか、とのことであった。どうやら、投稿者であった渋谷がレボルーションを乗っ取って、自分のやりたい編集方針の下に再スタートしたいということのようであった。渋谷が目をつけたのが、レボルーションの投稿者であった岩谷宏と、掲載はされなかったが投稿者であった僕ということらしい。

 初めて会う渋谷は、きさくな男であった。新宿の落合に住んでいて、同じ新宿区の住人である。渋谷は浪人生であり、僕は大学生であった。新しい雑誌をやりたい、という意欲を渋谷は語った。僕の親父が高田馬場の小滝橋で小さな印刷屋をやってるので協力してもらえるかもしれない、というと、渋谷のギョロッとした目が一層輝いた。渋谷は、盛んに、市販の雑誌に負けないものを作ろうと力説するのだが、それは、どのようにやれば良いのか全く想像もつかなかった。なにしろ、当時の学生は、世の中の常識やルールなどをまるで知らない子どもたちであったのである。今の大学生であれば、世の中の仕組みやルールはある程度は分かっているだろう。しかし、この時代においては、世の中とは「向こう側」の世界であり、子どもたちの世界と、向こう側の大人の世界とは、はっきり違う世界であった。

 「よし、やろうぜ」

 渋谷は、何が「よし」なのか分からないまま、気合だけは充分であった。なんとなく僕も、高揚していた。

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