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追悼・常行邦夫さん

 常行邦夫さんの訃報が届いた。2021年2月3日に食道癌で亡くなられた。常行さんとは、僕が「ポンプ」の編集長をやっていた1970年代の後半に出会った。常行さんは、当時、文化放送の営業として活躍されていて、メディア情況全般に強い意識を持っていて、汀邦彦というペンネームで放送メディアの批評活動もしていた。放送批評懇談会の清水(現・小見野)成一さんとも出会い、3人とも昭和25年生まれだったので「25の会」というような感じで、頻繁に会って情報交換をしていた。

 常さんは、水戸出身だったか、武士の骨っぽさを持ちながら、慶応ボーイの洒脱な振る舞いで、いつも笑顔でいた顔しか思い出せない。僕が「ポンプ」を辞めて、1982年ぐらいに、メディア情報誌「イコール」を創刊した時に、常さんと、TBSラジオの故・藤井誠くんとで、ラジオの本質について議論してもらった。社会のデジタル化がはじまり、オールドメディアのラジオ局のアイデンティティが崩れはじめた頃だ。二人ともラジオの素晴らしさを嬉しそうに語っていたことを覚えている。

 四谷の文化放送は、僕の生まれた場所の近くにあり、家を出ると、すぐに坂の上の放送局が見えた。小学校も文化放送の前にある四谷第一小学校だったので、常さんの勤めていた時代の古い社屋はとても愛着があった。常さんたちと会う場所も、四谷三丁目あたりから新宿方面であった。

 1981年に、僕がはじめての単行本「企画書・1999年のためのコンセプトノート」(JICC出版局)を出した時に、最初は乗り気ではなかった僕に「出版パーティをやらなければ駄目だ」と強く押してくれて、事務局を引き受けてくれたのが、常さんと清水さんだった。この出版パーティは、今でも風景が思い浮かべられるぐらい新鮮で、素晴らしい人達が神宮のレストランに多数集まってくれた。小谷正一さんに案内状を送ったら、海外出張のため参加出来ないという手紙が、参加費とともに現金書留封筒で送られてきた時、常さんと「こういうことはなかなか出来ないよね」と二人で顔を見合わせた。

 この出版パーティの楽しさを知って、僕は、その後、本を出すたびにパーティを行うようになった。出版パーティなんか気恥ずかしくていやだ、と駄々をこねていた僕を、強引に勧めてくれた常さんに感謝している。

 その後、80年代の後半、バブルの最中に、常さんは文化放送を退職して、J-wave(エフエムジャパン)の創業に参加した。常さんに会うと「音楽中心の新しい放送局を作るんだ」と情熱的に語っていた。まだ未成熟だった、エフエム放送の番組構成や、営業企画は、編成部長であった常さんの功績だと思う。その後、日本各地でエフエム放送局の開局準備がはじまり、常さんは、京都FM(α-station,)や名古屋FM(ZIP-FM)の開局の編成部長として、日本のFM文化における現場の功労者となった。

 1990年代の前半、名古屋FMが立ち上がった頃、常さんから「名古屋に来てくれ」と呼ばれて、若いスタッフたちに「これからのメディア」について語ったことがある。番組でも何か話した記憶がある。その時の常さんは、自信にあふれて、なぜか、日本のメディアの基礎を作った小谷正一さんの雰囲気を感じた。小谷さんは、僕らが敬愛するメディアの大先輩だが、ゼロから新しいことを作り出す行為は、素晴らしいことなのだ。

 90年代の半ばから、インターネットが猛威をふるい、旧来のアナログメディアを駆逐した。雑誌もラジオも、そしてテレビも、黄金時代の終わりを感じさせていた。常さんは、FM立ち上げ男の役割を終えて、独立した。しかし、独立後は、あまりよい噂を聞くことがなかった。

 常さんと会ったのは、2011年3月8日。Twitterを検索したら出てきた。


橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit

2011年3月8日
常行邦夫さんとランチ。古いメディア仲間。


 その日、以来、会っていない。時々、80年代を思い直しては、常さんのことを思い浮かべることがあったのだが、会う機会を逃しながら、二度と会えなくなってしまった。

 僕にとって常さんは、いつも、口元をゆるめた笑顔で、颯爽と歩いてくる姿である。時代の同志であり、同じメディアの世界で生きた友人である。

 人が死ぬのは決まっていることで、それが先か後かということだけなのだが、もうすこし話がしたかったという未練は残る。常さんのやりたかった「ラジオ」を、僕も自分なりの方法で追求していきます。

 ご冥福をお祈りいたします。


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▼以下の原稿は、1981年の「企画書」に掲載されたテキストだが、常行さんに教えてもらった情報を使わせてもらった。

80年代のミニコミ
https://note.com/metakit/n/neff4c33320cf

 ミニコミに対して、違うなあ? そうじゃないなあ? と思っていたある日、友人の常行邦夫から感動的な話を聞いた。ホント、これ、カンドーテキッ!

 ある新聞販売店で新聞少年たちが毎日、新聞を配達している。ある時彼らは、ぼくたちも新聞を配達するだけではなく、新聞社になりたいと思った。彼らは自分たちでミニコミを作り、新聞に折込チラシを入れる時に自分たちの「新聞」も折りこんだ。……やった!彼らみたいな人のことを時代の真の革命家というのだ。新聞がファクシミリになっても、彼らのまいた種子は今の誰も予想つかないような花となって咲くのだ。
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