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新年のぐだぐだした年賀の挨拶から。

謹賀新年
2015年 元旦●橘川幸夫

年賀状を年末に出すことの違和感を感じたのは20年前です。
20世紀は空間の拡張時代でしたが、21世紀の始まりは時間の拡張から始まりました。ビデオデッキはタイムマシーンでした。インターネットは空間の意味を無化しています。さて、時間も空間も蹂躙尽くされた、その後の時代を考えたいと思ってます。

ということで、新年の朝に、年賀状原稿を書いております。
年賀状の原稿を書くというと、まずは年賀状そのものについて脳みそが向かいます。

年賀状というビジネスモデルをご承知ですか。
郵便配達の人が、1枚の葉書を発信人から受信人に届けるコストで郵送料が決まります。100枚の葉書を一枚一枚配達するのではなく、一度に100枚配達すれば、コストは1/100になります。葉書の配達料金は変わりません。かつてヤマト運輸の社長さんは、「年賀状というのは、国民が郵政省(当時)にお年玉をあげてるみたいなものだ」と言ったことがあります。それでも、郵便局が半官半民で、国民のために頑張ってくれているなら、それも良いでしょう。しかし、日本郵政が株式上場します。上場されれば、会社は完全に株主のものになります。

かつて、国民の税金で基礎を作った鉄道事業が民営化され、国民が支払った税金がいつのまにか株式会社に移され、株主のものになりました。鉄道会社の土地も、郵便局の土地も、本来は税金で確保されたものでしょうから、少しは返して欲しいものです。

とか、ぐだぐだ言っても始まらないので、とりあえず、日本郵政株式上場以後は、独占的なルールも返上していただき、年賀状ビジネスにも、ベンチャー企業が参入出来るようにしてください。おそらく、そこには、新しいカルチャーが生まれるはずです。

そもそも明治になって、郵便制度が展開され、その新しいソリューションの上で、年賀状というカルチャーが生まれたのだと思います。廃藩置県が行われ、旧権力者であった各藩の家老クラスの実力者が失業し、そのままほっておくと内乱の芽になるのを恐れて、各地の郵便局長という仕事を用意したという話を聞いたことがあります。

そうやって、江戸時代から明治時代になり、日本の近代が始まったわけですが、その移行期に権力を持った人たちが、現在の官僚制度という、新しい支配権力を構築してきたわけです。明治維新は、国民による市民革命ではなく、旧武士が官僚になっただけの官僚組織革命です。「森を見る力」でも書きましたが、坂本龍馬は、いわば江戸時代の地方公務員です。

現代において、政治家は政治をやっているのではなく、選挙をやっているだけです。社会のシステムを管理運営しているのは、政権が変わろうと、同じ官僚が担っています。現在は、一党独裁なので、これまで各省の官僚たちが、積み残していた課題を、一気に処理してしまおうとしているだけです。

政治を変えるというよりも、官僚組織を変えない限り、日本社会は、明治以来の近代の枠組みを超えることは出来ないと思います。さて、それがどういうやり方があるのか、まるで巨大な風車に立ち向かうドンキホーテの心持ちですが、ただひとつだけ分かっていることがあります。それは、個人の努力だけでは無理だということです。かといって、烏合の衆では、なおさら問題を複雑にします。

何をやるかも大切な命題ですが、誰とやるかは、その前にもっと大事な命題だと思っています。あなたとやりたい。「あなた」というのは、70年代にロックを聞いていた時代に、僕らが見つけた、小さな輝きです。

さて、そろそろ、お雑煮の時間です。

本年もよろしくお願いいたします。

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