見出し画像

いつも時代へ向けてのラブレター、橘川幸夫

 手抜きの四本淑三のライティングが、妙な味を出しているアスキーでの連載原稿「週刊キツカワ」の4回目(0号からはじめたので)になりました。いつまでやるのか分からないけど、連載終わったら、書籍にしたいので、版元募集中(笑)

週刊キツカワ3号「新しい技術とメディア」

新しい技術を使って儲けるために知っておくべきコツ

 それで、今回は、橘川が儲け方の秘伝を公開している。橘川が儲け方の話をするなんて、まるでリアリティがないところが良い(笑)。しかし、実は、僕は、1975年の25歳の時に、まるで儲かっていないロッキングオンをやりながら、なんと、駒沢に戸建て新築住宅を購入したのだ。うちの親父は、倒産8回を誇る倒産父さん。借金はあれど資産なし。にもかかわらず、駒沢公園にほぼ隣接したところに持ち家を持てたのは、写植屋で売上があったのと、カミさんが自分で稼いでくれていたおかげで、銀行ローンが降りたのである。

 駒沢は、当時は新玉川線(今は半蔵門線だが、当時を知る人は、今でも新玉川線と呼ぶ)も建設中で、不動産のチラシには「最寄り駅・渋谷までバス25分」とあった。しかし、目の前は駒沢公園だし、毎日がピクニック気分の駒沢で、自宅兼写植屋工房になり、更に、家賃も払わないロッキングオン編集部も、我が家の中にあるというアナーキーの状況となった。近所の読者の女子高生たちが遊びにきたりした。

 儲け方の秘密を知っていた僕が、その後、なぜ、貧乏生活を送ってきたかというと、1981年に、僕は写植屋に見切りをつけ廃業し、所有していた写植機2台は、あげてしまった。大型の写植機PAVO8は、70年代に黄金のような素晴らしい仕事をしていた、宮脇和の遊び塾「おりじ」の子どもたちに使ってもらうためにあげた。宮脇の活動は、見事に70年代から80年代で終了していて、Amazon見ても、大量の書籍リストはあるが、画像ひとつない。

 もう一台のスピカは、名古屋でピヴィレヌというバンドをやっていた水野誠が編集会社をやるというので、あげた。

 写植屋も廃業し、ロッキングオンも脱退し、ポンプの編集長も辞めた。家にあった大量の本やレコードを集めて、若い連中たちに、みんなもっていけ、とまるで形見分けのように、みんなあげてしまった。デビッドボウイのサインも、ポンプの読者プレゼントであげてしまったし。

 とにかくすっからかんになって、70年代をやめたのだ。特に目標も目的もなかったが、70年代を捨てないかぎり、この先には進めないような気がしたのである。気分としては、詩を捨てて砂漠のビジネスに向かったアルチュール・ランボーであった(笑)

 そこからバブルがはじまり、ネットがはじまり、インターネットが始まり、IPOバブルがはじまり、ソーシャル・ビジネスがはじまり、いろんなことが始まったが、なんとか生き延びたが、儲かったという実感はない。

 渋谷陽一が、僕の単行本「インターネットは儲からない」(日経BP)の推薦文を書いてくれて、そこには「30年前から、今の現実を正確に予測していて、しかし、なぜか儲けなかった男。また儲けるのは橘川ではなくて、この本の読者なんだろうな」と書いてくれた。流石に、渋谷であると感心した(笑)。

 アスキーの記事にあるように、時代の出会い頭が儲かることを知っていたが、本当に儲けるのは、その時代に始まったことを、組織的・システム的な装置に仕上げる人間なのだ。僕は1981年に、そういう近代的組織に絶望して、一人の個人的人間として生きることにした。

 インターネットは、新しい技術であり、ムーブメントだから、主にアメリカの動きを見ていれば、何が新しいのかは誰でも分かる。そうやって、賢い連中が、アメリカの動きをバクってきて、偉そうにしていた。キュレーションだった、アメリカからの輸入コンセプトだろう。

 僕は、70年代に日本で発見した「参加型メディア」「参加型社会」というものを、80年代以降も、それが何なのか、懸命に考えつづけてきた。大げさに言えば、僕は経営者でも教師でもなく、一人の思想家として生きてきたかったのだと思う。

 ということで、儲けることだけが目的のゲーム経営者では分からない、自らのコンセプトが具体的なカタチに表現出来る喜びをしっている。その喜びだけを追求する。

 僕の文章は、ロッキングオン創刊号から、常に、見えない人に向けてのラブレターである。年末からはじまる、橘川の講演会に、参加してください。

●備考

▼週刊キツカワは、四本が締め切り守れば、毎週、土曜日の午後に公開予定。

週刊キツカワ0号「場が主役の時代」

「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る

週刊キツカワ1号「深夜放送の時代」

深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ

週刊キツカワ2号「メディアを作る」

「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話

追伸

昨日、山手國弘さんの息子の義弘くんが主催したイベントで、山手國弘さんの生前の画像を見た。亡くなって20年だというが、彼は死んでいないな。今も、彼のメッセージが聞こえてくる。

山手さんと一緒に出した本。創業夢宿―Remix 高い値段がついてる。

ここから先は

0字

¥ 100

橘川幸夫の無料・毎日配信メルマガやってます。https://note.com/metakit/n/n2678a57161c4