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――カポネ・トライアングル●1980年書きおろし原稿


■ぼくたちの組織論は「つなぐ組織論」だ。上部から強力な指導性を発揮して牽引してゆくことでも、思想を外部注入して変革を迫ることでもない。内部の自発性と必要性に迫られて、ひとつの個として自立したもの同士を、つなげていく方法だ。

■「ネットワーク それは組織ではない。それ自体は何の利益も生み出さず、何の拘束もしない。各構成単位の自立性を損なわず、情報だけが流通する非組織。ネットワーク=八○年代後期の新しいコミュニケーション回路」(松岡裕典)

■自立した個がないのなら、今は、あえてつながる必要はない。それぞれでやるべきことを残したまま、つながることはできない。まして「他人を自立させてあげよう」なんて思ってはいけない。自分のことをなおざりにして、他人におせっかいをやくことは、結局、自分だけではなく他人をもワヤにしてしまう。

■個の自立性を無視して上部から一方的に個の行動を規定してくる古い組織にはヒビが入ってきている。個の発想よりも全体の発想を優先させる軍隊の組織論は、やがて、ありとあらゆる領域で崩壊するだろう。今は大いなる過渡期の端緒だ。

■個の芽生えつつある中で、逆に「個の自立性」を奪い取ることで組織の強力な団結を得ようとするグループもある。例えばヤマギシ会とかインドのバグワン・グループ。あるいは、スーパーマーケットの新入社員研修会、軽井沢あたりでやってる管理職養成購座。どうやるのかというと、合宿の初日から、とにかく、それまで保持してきた個の自立性(ぼくたちの持ってる個の自立性なんて、歴史的にまだほんの乳児のようなものだ)を剥ぎ取ることからはじまる。よってたかって質問責めにするのだ。「おまえは誰だ?」「おまえはなんで生きているのだ?」「おまえはこれまで何をしてきたんだ?」……良心的な個人は良心的に答えようとするが、良心的であればあるほど混乱してしまう。その混乱に乗じて回答を無視した質問が続く。これをやられると、どんな厚顔無恥のオジサンも最後には赤ん坊のように泣いてしまうのだそうだ。赤ん坊になったところで洗脳。

■管理社会の中でタテマエにしばられて生きてると思ってる人は、素っ裸になって赤ん坊になれることは「すごく気持ちの良い体験」なんだそうだ。でもね、どう考えても、こういうやり方は、ぼくらの進んでいく方向とは逆の方向だと思うんだ。「おまえは誰だ?」という問いは、自分が自身に向けて問い続けなければならないことであって、それ以外に自立の道はないはずなのだ。「おまえは誰だと問うおまえは誰だ!」。

■さて、出発点も歴史経緯も違う世界中の国家が、とにもかくにも国連という国家ネットワークを作り出し、共通の問題について話しあっている。個が個として自立していくということは、個が個の内部だけでは解決できない問題も見えてくるということだ。もっとおいしい料理を食べたいと思うと、料理法のことが気になり、素材が気になり、素材の流通が気になり、ついには農法まで気になってくる。そこまで気になった個人同士がネットワークをはっていき、共同して農法の改良を生産者に要求する。ネットワークをつなげていくものは、それぞれの個の中にある共通の問題意識だ。

■雑誌というのは、それぞれで自立したメディアなんだけど、活字コミュニケーションという視点で見たら、あらゆる雑誌が全体を補完しあって成立してるシステムだと思う。もちろん、コミュニケーション・システムという視点で見るのなら、もっと広く、電波とか学校とかいろいろあるうちの一部なのであるが。

■これまでAという雑誌とBという雑誌は、それぞれ別個に独自性を追求してきた。競争原理が雑誌界に活力を持たせてきた。しかし、もし「雑誌システム」という全体性からの視点が登場したらどうなるだろうか? 自分の雑誌を面白くする、ということだけにきゅうきゅうとしている職人編集者ではなく、雑誌システム全体を、つまり「本屋全体を面白くする」という発想をもった編集者というのは考えられないだろうか?「宇宙船本屋号」の発想だ。

 もちろん現時点で、こんなこと言ったって実際の雑誌は、商品として拘束されてるわけだからどうなることでもないことは分ってます。でもね、例えば、いろんな出版社がバラバラにウェストコーストを取材しに行くなんて、絶対にムダなことだと思うんだ。海外取材に行って何千枚もの写真を撮ってきて、実際に誌面に使われるのは何十枚というのは、どう考えてもムダだと思うんだ。雑誌界の「共同通信」的な会社は、現実には無理でも、将来的な可能性として見ておくべきだ。

■雑誌編集部は、それぞれの歴史が蓄積したオリジナルなノウハウを持っている。そのノウハウを、外部の雑誌が使えるようになれば、雑誌界全体はもっと面白くなるはずだ。雑誌はひとつの城として孤立しているべきではなく、やがて全体のうちのひとつとしてネットワークされていくはずなのだ。

■昔「ハイジャック・マガジン」というのを考えたことがある。編集部はあるが雑誌のない雑誌だ。第一号機が『宝島』の一ぺージに着陸する。その一ページはハイジャック・マガジン編集部が編集するのだ。そして最後には「次号は『クロワッサン』に着陸する予定」と書いてある。本屋に並べられてあるいろんな雑誌の誌面に次々と着陸する実体なき雑誌。

■マイナー(と呼ばれている)な雑誌群の中では交換広告というのが盛んだけど、あれはいつか、交換記事というふうになっていくだろう。

カポネ・トライアングル

(メディア・ネットワークの参考例)

 カポネの力は『カメラ毎日』の力、カポネのポは『ポンプ』のポ、カポネのネは『猫の手帖』のネです。カメラ毎日は伝統ある写真雑誌ですが、読者の投稿写真に力を入れてる。ポンプは投稿誌。猫の手帖は猫の専門誌だけど、やはり読者の投稿が大きなウェイトを占めている。ということで、この三誌が共同して何かできないか? という発想でスタートしたのが「カポネ・トライアングル」。それぞれの雑誌にカポネのコーナーを作ってもらい、三誌の福集部が共同して誌面を作った。だから、例えばポンプに送られてきた投稿が猫の手帖に掲載されることもあるし、カメラ毎日の写真がポンプに登場することもあるわけだ。約半年間続けられたこの企画は、ポンプにとっても、さまざまなトライアングルの可能性を秘めた貴重な体験でありました。

 なお、この企画の発案者は坂本正治さんであります

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