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(19)焼きそばパンの逆襲■書店の黄昏


 第二回目の脱広告研究会の懇親会も終わって、満と森川と明彦は反省会を兼ねて渋谷のダイニングバーでテーブルを囲んだ。
「アキちゃん、なかなかポイント押えて、良い報告会だったよ」
 森川が明彦をいたわるように話しかけた。
「哲、この程度で誉めないでくれよ」
 満は、坂巻の言葉にちゃちをいれるように話したが、嬉しそうであった。
「今日の話は、確かに面白かった。店舗の問題というのが、これから重要になっていくということだな。メディアというイメージの世界と、店舗というリアリティの世界というのを、どう融合していくのかというのが、ポイントだな。郵政民営化における郵便局の活性化というのも、リアリティ・スペースの新展開という視点で見なければならないな」
「満っちゃん、スマート・パオって知ってるか?」
「なんだそれ、知らないよ」
「内田洋行が開発した情報環境装置なんだけど、結構、面白いかも知れない。今、資料を集めているから、そのうち報告するよ」
「森川さん、その資料まとまったら、研究会で報告してもらえませんか」
「ああ、いいよ。しかし、世の中は、いろんな方面で動きが始まったという感じだな」
「そう、始まっている。だけどな、そのことによって崩されていくこともあるんだから、そこも押えておかなければアカンよ。今日の話で、書店と取次の話があったろう。オレにとっては、自分のフィールドだから、あれが一番面白かったな」
「満ちゃんは出版の話になると昔から異常に興奮するからな」
「ああ、今は広告やってるが出版は故郷みたいなものだからな。それで出版業界で、今、一番大きな問題は再販制度なんだ。アキ、出版の再販制度については、ちゃんと勉強しとけよ。日本の出版業界というのは、再販制度によって、定価が守られている。全国どこにいっても同じ本は同じ定価だ。このことによって、電気製品みたく価格競争が起きて、メーカーが価格をつけられないオープン価格みたいな形にはならないですんでいる。この制度によって日本の出版社や書店は、価格の競争原理とは無縁のところで、内容の競争だけで勝負できるという体制になっている。もうひとつ、出版流通の大きな特徴は委託販売システムだ。書店は、全国一律の定価の商品を、委託配本で販売できる。ある意味では、モノを売るという商売の面白さからは切り離された、管理されたビジネス構造なんだ。それだから逆に、他の商品に比べたらとんでもなく低い手数料に押えられている」
「再販制度がなくなるという話ですよねぇ」
「アキも聞いたこともあるかもしれないが、再販制度の廃止という問題が、経済産業省あたりから出てきている。もともと取次というのは、戦時下の言論統制のために出来たシステムだ。本の反戦的な記述にスミを塗るために一箇所に集める必要があったわけさ。今の出版流通ビジネスは、統制経済のような管理型で、本来、流通がリスクをとって安く買い取って販売するという資本主義のダイナミズムとは違う方式だからね。出版だけ、バターや自動車と違う方法論でやって良いのか、というのは当然の議論だと思う。すでに大型チェーン書店などは、だいぶ前から再販制度廃止を前提としたシステム開発をやっている。定価が一定の商品として設計されていたPOSシステムを、変動する価格に対応しなければならないからな。オレも昔は、再販死守と叫ぶ、古い出版業界のボスたちに頭きてたから、自由競争でやるべきだ、と思っていたが、最近、少し考えなおしてる」
「どうした、ずいぶん弱気じゃねぇか」
「いやね。前にも言ったかもしれないが、オレは自分のやるべきことを探したくて、視点をどんどん現場から遠くして、町全体をウォッチングしていたんだ。そしたら、どこの町にも、小さくて古い本屋さんがあって、老夫婦が店番してたりする。オレは不思議で仕方なかったんだ。流行ってるとも思えないし、どうやって食ってるのかって。店に入ると、なんつーか、古くてカビくさい独特の匂いがしてな。老夫婦は昔は岩波文庫読んだり世界の名著を揃えたりした、品の良いインテリ風だったりする。だけど、今の出版文化の最新本なんか、まるで興味ないだろうな、と思う。店は古いし、商品にも取り残されている店主が、どうして店を維持出来るかといえば、再販制度と委託配本システムなんだろうと思う。老夫婦の書店は、たぶん、店は自分の持ち物だろうから家賃はいらない。店員を雇わなければ人件費もいらない。商品は、取次が送ってきたものを並べて、売れなければ返品すればよいのだから在庫リスクもない。売れた分のマージンだけで、老夫婦は贅沢しなければ充分、生活出来るんだと思う。再販制度が潰れたら、まずこういう書店から潰れていくだろうな」
「おいおい満ちゃん、それは仕方ないんじゃないの。日本の町にあった、酒屋とか時計屋とかが、どんどん潰れて、かわりにコンビニとかディスウントショップが出来たように、古いビジネスモデルは消えていくもんだよ」
「そんなことは分かってる、でも、なんとか、競争原理だけではなくて、違う方法で次の社会を見れないか、と思うんだ。今のままだと、何でもかんでも競争競争ばかりで、たまらんぜ。古い制度にしがみつくのでもなく、競争原理主義に走るのでもなく、第三の方法論が必要な気がするんだよ」
 満は、答えの出ない質問に少し苛立っていたが、同時に強いエネルギーが体内に分泌されていることも感じていた。ジントニックが脳細胞に浸透していくようだった。

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