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追悼・吉本隆明さん

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標題=追悼・吉本隆明さん

掲載媒体=一週間の日記

執筆日=2012年3月18日

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◇追悼文は、現実の場面で関係を結んできた人に限ってきた。吉本さんとは面識がないし、今、僕の家には、吉本さんの本が一冊もない。定期購読していた試行が探せば出てくるかも知れない。それでも吉本さんと埴谷雄高さんは、同じ世代にありがちなように、大きな刺激的存在であった。訃報を聞き、僕があの頃、一番好きだった吉本さんの文章を読み直したくてネットを検索したら、まあ、たくさんの人が吉本さんについて語っている。すべてのことを吉本さんに教えてもらったという絶賛派から、吉本なんて何を言ってるのかまるで分からなかったという否定派まで、もりだくさんだ。久しぶりに、吉本さんが論争を始める時の高揚感を感じた。僕も、10代の後半に吉本さんの本から大切なことを学ばせてもらったので、追悼文を書かせていただきます。

◇僕が10代の時、本というのは、回答を与えてくれるというものより、回答に向かうための衝動を触発させてくれるものだった。それは当時も僕みたいなのは少数派だったのかも知れないが、現在は、本にすべての回答を求める者が大半ではないか。吉本さんの論文を、何かの回答だと思ったことはあまりなく、むしろ、問題の立て方、立ち向かい方に刺激を受けた。僕が吉本さんの本を読んでいたのは、68年から71年までの、ほんの数年間だ。共同幻想論を読んで、心的現象論でやめた。僕にとって、吉本さんの文章で生涯にわたって響いているのは、むしろ、こうした体系的な成果ではなく、初期の文章である。吉本さんは詩人としてスタートしたが、詩人としては、あまり優れているとは言えなかったと思う。しかし、初期の散文に見られる、論理に斬り込む詩的な発想力と飛躍力は、素晴らしいものだったと思う。詩人とは成果としての作品に価値があるのではなく、課題に立ち向かう意思と情熱においてのみ価値があるのかも知れない。ランボーはおそらく作品としてはいくらでも書けたが、詩人の本来の姿を見失ったために詩人を辞めた。

◇僕の家には吉本さんの著作が残ってないと言ったが、たまたま20歳前後の僕のノートに吉本さんの本のフレーズが書き残されているので、僕がどういう言葉に触発されたか分かる。

「結局はそこへゆくに決まっている。だから僕はそこへゆかうとする必要はないはずだ。ここをいつも掘り下げたり切開したりすることの外に、僕に何のすることがあるといふのか」(P37)

「僕は健全なる精神を畏敬する。だが信じられない」(P74)

「人々は傷つきやすいやうに忘れやすい」(P94)

「人間は何かを為さねばならないが、何かを為すために生きるものではない」(P107)

◇いずれも、20代の吉本さんのノートに書かれていた文章をまとめた初期ノートからである。体系化された戦後思想の傑作というようなものではなく、戦後の荒廃の中で、たった一人で、新しい価値観、新しい方法、新しい共同体の模索をはじめる原初的な息づかいを感じて、こういうところからスタートした人間を信じた。

◇こういう読書法は、カール・マルクスに対するものと似ている。資本論などの大著は最初から読む気がしなかった。お勉強のような本は嫌いなのだ。しかし、やはり詩人を目指して挫折したマルクスの若い頃の著作(いわゆる初期マルクス)には、自由な発想と、ダイナミックな論理構造が舞っていた。「経哲草稿」「ドイツイデオロギー」しか読んでないが、「人間とは人間的自然である」などという言葉は、まるで詩集の中のワンフレーズのように、心に刺さった。

◇学生時代の先輩が、「戦前の吉本は、宮沢賢治や保田与重郎にいかれてたというが、逸見猶吉じゃないか、確か学生時代の吉本のペンネームは逸見だったはず」と言っていた。僕は、どのような表現者であろうと、その魂の根幹に詩人の心がない人は信用できないし、その魂を完全に埋め殺して生きる者も信用しない。

◇詩人として吉本さんのことばかり書いたが、やはり、もっと大きなことも学んだな。共同幻想論のロジックは、ポンプの構造を考える時に一番使った。今、朝日新聞が「LOVE」と「LIKE」の違いは何か、ってやっているが、「LIKE」は個人幻想、「LOVE」は対幻想というのが、僕にとっては一番分かりやすい。対幻想という関係性の視座を発明したことは、最大の功績ではないか。

◇「ここにあるものはどこにでもあるさ。あそこにあるものはここにもあるさ」と言って、物見遊山の旅行をしないと言ってた吉本さんに影響されて「旅とは人に会いに行くものだ」と決めて、ほとんど僕も、旅をしてこなかった。68年から71年までに吉本さんの著作と出会えたことは、時代的にも幸福だったかも知れません。ある意味、著者と読者が同じ細い道を走っていて、その先頭にいたのが吉本さんでした。その細い道を共有した者と、道の外から、あるいは後から結果としての作品だけを評価する人たちとは、根本的なところで共有出来ないものがあるのかも知れません。

◇時代の暗闇をくぐって突破した人が再び暗闇に帰っていく。自然存在と人間意識を自覚的に生きた吉本隆明さんに感謝と、お疲れ様でしたと言いたい。一緒の時代を生きていただき、ありがとうございました。合掌。

追伸(Twitter)

吉本隆明さんはな、こう言ったんだ。学生運動やめて会社員になることが転向でも敗北でもない。会社員やる中で、自分の問題意識を捨てて、自分のテーマを追求することをしなくなることが敗北だ、と。その言葉を常に思い出せ。

metakit/橘川幸夫(きつかわゆきお) 2012-03-21 11:51:17

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