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11-5.イメージ・シンセサイザー●「企画書」1980年書下ろし


 人間は死ぬ間際になると、自分の一生が走馬燈のように映像化されて、目の前に現われるのだそうだ。その時、目の前に繰り広げられる映像は、決してムービーではないだろう(ムービーだったら、時間の進行がリアル・タイムなわけでして、自分の一生を見るためには、自分の一生分の時間が必要なわけだから)。おそらくはそれは、極度にスピード・アップされた、早回しの時間映像だろう。人間はいくつもいくつもの個的ドラマを複合的に組み合わせながら一生を通過する。個的ドラマを極度にダイジェストした、瞬間的映像!その連続! ぼくたちが死ぬことによってしか見れぬという走馬燈。二○年の歳月を使用して坂本正治が作り上げたイメージ・シンセサイザーは、「死ぬ瞬間映像再現システム」だ。

 同志、坂本正治は、ポンプ・システムを見て、「オレと同じこと考えてる奴がおるな」と、ぼくに会いにきた。彼は、例えば「時の微分と積分」という言い方をする。流れる時の、変化の割合を極限までせばめていくと、例えば瞬間になる。ひとつの静止した風景になり、一枚のポジになる。そのように分解した写真を白いスクリーンの上に積分していく。これがイメージ・シンセサイザーの原理。ポンプのやり方でいうと、時代体験・時代実感というものを、個人のレベルまで微分していき、白い誌面に並べていく。読んでいく人がそれぞれの個的体験を積分していきながら、自分なりの〈時代(右横ルビ:いま)〉を感じとっていくわけである。坂本正治は『ポパイ』というカタログ雑誌に、ずっと関わってきたのです。あれも微分型メディアであるわな。

例えばイメージ・シンセサイザーを使ってどういうことができたか。

EX①七五年の電通夏期大学用に作られた作品。一年の間に、書店に並べられた雑誌のグラビアに現われた人物・社会現象などを、スライドにしていく。そして、イメージ・シンセサイザーにかける。音楽はその一年間に流行した曲。その時代が、理解という思考回路をすっとばして、直接、感性に焼きついてしまう。分ってしまう。恐ろしい機械だ。

EX②鋤田正義が撮り続けたロック・ミュージッシャンの写真。ロックに合わせて、ボウイの横顔が後姿がステージ写真が、次々とフラッシュする。まばたきのような夢。

EX③北海道に住む一六歳の少年(四本淑三)に、毎日見てるTVの画面をバチバチ撮ってもらう。彼自身のシンセサイザー音楽で、イメージ・シンセサイザーにかけると、少年がいつもTV画面のどこを見てるかが見えてしまう。少年の深層心理が見えてしまう。

あまり詳しい説明は避けたい。今は、せめて「イメージ・シンセサイザー」という語感から、あなたにも、この機械のイメージを喚起して欲しい。

ぼくは、いつもこの映像を見るたびに、それがサハラを横断するオートバイの作品でも、ジオラマで描いた第二次世界大戦の作品でも、ニューカレドニアの海でも、なぜか、哀しくなってきてしまう。哀しい機械なんだなぁ、これが。坂本さんは「仏教マシーン」と言った。すべてが見えてしまうということは哀しいよ。遺言です。ぼくが死ぬときは、自分一人で生涯の走馬燈を見ても楽しくないので、葬式では、イメージ・シンセサイザーを使って、みんなで走馬燈を見てください。

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