追悼・鹿野谷武文さん(2006年)


2006年11月 4日

 デジタルメディア研究所で文科省より受託した調査事業、ODECOの件で長野の教育委員会を回ってきた。新そばの季節で、山の中にある美味しいお蕎麦を食べた。長野には蕎麦が山梨には、うどんがあって、地元の人しかいかない場所に、地元の人だけが食べに来る食堂のような店がある。こういう店は、地元に友人がいないと分からない。友人の家に招かれたような気持ちで、観光のための観光客の気分とは違う嬉しさがある。地域活性化とは、お金さえ落とせばよいという観光客を集めればよいというものではあるまい。

 ずるずるとお蕎麦を食べている時に、鹿野谷武文さんが亡くなったというメールが入った。以前から体調を崩していて、彼が手がけていた青森県・八戸市の活性化プロジェクトは、鹿野谷さんからデメ研の亀田くんに託されて「おあがりゃにせ はちのへ」へと具体化した。鹿野谷さんは、独特の風貌を持った人で業界的には「事務局長オトコ」として有名だった。さまざまな団体の設立に関わりながら事務局長として取り仕切っていた。「スマートバレー」という地域活性化とITをつなげる動きを日本に紹介し、NPO法人電子コミュニティ推進協会を設立し、事務局長をやっていた。

 地域活性化と教育活性化をメディアの側から追求したい、というのが僕のテーマなので、鹿野谷さんとは、これからいろいろと一緒に組みたいと思っていたのに残念だ。癌の告知以後も、いつもよりも更にパワフルに明るく振る舞い、西洋医療を拒否して死を迎い入れた。こうして、また僕らのフロントラインから活動家が一人ずつ消えていく。悲しいが、彼らの思いを預かりながら進むしかない。ご冥福をお祈り致します。

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