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21世紀型スキル

5年ほど前から教育の世界で話題になっている「21世紀型スキル」という言葉がある。

グローバル人材を育成するための教育方針として世界的な潮流にある。

▼概要については、以下に詳しい。

https://www.manabinoba.com/index.cfm/6,21771,13,html

▼以下は文科省が実施した識者を集めた懇談会の内容である。

学校教育の情報化に関する懇談会 これまでの主な意見(第1回~第6回)

-- 登録:平成22年08月 --

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1296728.htm

(「モノづくり」から「コトづくり」へという言葉は、私が作った造語だと思うが、ずいぶんとあちこちで使われるようになった。喜ばしきことであるw)

 私が教育に詳しい友人から聞いた説によると、もともとは、アメリカを中心とした欧米先進国における「テロとの戦い」が大きな契機になっているということだ。20世紀は、組織と組織の戦いの時代であって、国家も企業も巨大なピラミッド構造を構築し、総力戦で敵対する国家や企業と戦っていた。そういう社会における人材教育は、ピラミッドの部品(パーツ)として優秀であればよかった。大量生産、大量消費の時代においては、教育も、同一のスキルを有する人間を大量に排出してきたのであろう。経営者は経営スペシャリストの教育を受け、労働者は労働者スペシャリストの教育を受けてきた。

 しかし、大国間戦争の時代から大国対テロリストという「テロとの戦い」になった時に、もはやピラミッド構造の組織では、対応出来なくなってきた。これまではピラミッドの頂点が戦略を決定し、その戦略に従って、中間層、末端層の組織メンバーが動けばよかったものが、突然、横腹や下腹部が敵の攻撃を受ける。その時、攻撃を受けた組織員が、自分の力で判断し、対応を決定出来ないと、組織そのものが崩壊してしまう。ピラミッド組織論では21世紀は生き延びられない、という思いから「21世紀型スキル」という発想が生まれてきた。

 スペシャリストからソーシャリストへというのは、三島由紀夫あたりも言っていたと思う。近代20世紀が分業スペシャリストの時代であったとしたら、21世紀が総合的人材(林雄二郎はトータリストという言葉を使ったと思う)が重要だということは、時代の流れからすれば当然かと思う。

 教育におけるこうした世界的潮流を背景にして、文科省は「アクティブ・ラーニング」を進めている。

▼以下、文科省の資料による「アクティブ・ラーニング」の解説である。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/10/04/1325048_3.pdf

【アクティブ・ラーニング】(p3、4、9)

教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

 20世紀型のマス教育では、同一の知識を大量に学生たちに押し込む教育方法であったが、それとはまったく違う方法論に重点をシフトしたのである。

 インターネット以後の時代の大きな流れである「組織から個人へ」というパワーシフトからすれば、こうした教育方針の転換は当然のように思う。私もまた、組織から個人へのパワーシフトを加速させようとするものである。

 こうしてみると、冨山さんの、既存の組織形態の維持を前提とした、技能スペシャリストの養成機関としての大学というのは、やはり方向性として20世紀型スキルではないかと思う。

 個人が技能スキルを学ぶとともに、自発的な判断力を持つことが21世紀型スキルとしたら、本物の文系スキル(哲学、美学、編集力、表現力など)を理系の人間も取得しなければならないのではないか。

 ちなみに、私の業務であるメディア開発において、必要としている人材は、ITスキルのある編集者である。昔は、編集者にITスキルを学習させればよいと思ったが、そうではなくて、ITスキルを持つ人に編集技術を教えた方が早いのではないかと思っている。そういう意味では、カドカワの編集者にプログラム技術を教えるのは、違うような気がする。

 これからの社会の一番重要なポイントは、異なる価値観の対立を際立たせ、一方の価値観が他方の価値観を圧殺することではない。文系と理系という近代的対立構造を止揚すること。そうした、新しい教育機関の登場こそが望まれているのではないか。

 アウフヘーベン(止揚)の時代がはじまるのだ。

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