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連載・令和日和・2019/09/28から10/12まで。

20190928 サロン未来フェス

 本日は、サロン未来フェス第一回。10人ほど。開始前ラグビーの試合を見てたが、負けてたので、会議開始。それぞれの体験と思いを語っていると、吉池が携帯情報で、大変です、ラグビー逆転しました^_^と。あわてて、テレビをつけて、いきなりパブリックビューイングへ。
 次回からは、ゲスト呼んだりテーマ決めた集まりにしていく予定。

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20190929 自分史まつり

 本日は、両国の大江戸博物館の会議室で、自分史まつり。パネラーでしたが、記憶の銀行をやってる長島さん、女性社長をネットワークした横田さんら、こういう場でしか出会えない人と出会えた収穫。自分史協議会の河野さんに感謝。

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 帰りは大江戸線で赤羽橋まで行き、バスで帰る。なぜバスにしたかというと、DQウォーク、バスのりながらだと、クエスト稼げる^_^ 電車だと速すぎてダメ。赤羽橋降りると、なんと、東京タワーが。初めてのお土産ゲット。50メートルまで、近寄らないと取れないので、坂道を歩く。なんか、若いカップルが、同じような目的でたくさん集まってるような。済生会病院の前からバスに乗ってゲームやりながら帰宅。

 夕飯は、ハラコ飯。シャケの炊き込みご飯にイクラをトッピング。野菜の天ぷら。根三ツ葉の卵とじ。山芋の梅和え。

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20191001 会いすぎ君

 令和元年の橘川69は、人と会う、人と会うために出かける、ということを優先しています。どんどん、新しい出会いがあり、また古い友人との再会もあり、会えば会うほどやるべきことが増えて、理想の隠居生活とはどんどん離れていきます(笑)

橘川の予定は、こちら
この他にも、非公開の集まりもいろいろ。各地の未来フェスもなるべく参加したいが、日程と体力の調整の上ということで。
★未来フェスのサイト。巻頭の言葉は毎日、変わります(笑)

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20191006 沖縄へ

 沖縄小さな未来フェス。動員に失敗したが^_^ 少人数ながら、充実したライブ。谷川さん、見事に、参加者のハートをわしづかみ。新しい動きに、必ずつながるでしょう。宴会は、海援隊沖縄福わ家泉崎店。めちゃくちゃ安い。

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20191007 谷川さんプロジェクト

 沖縄未来フェス翌日。AEFAの谷川理事長とランチしようと、昨日、谷川さんに引き合わせた元リクの永井くんのカレー屋アジトヤへ。90年代、リクルートの黄金時代(笑)インターネットの足音が聞こえる頃、勝鬨橋でやったデメジの最初の研修会の講師は僕だった。帯広で、亀ちゃんとやった、地域プロバイダー全国会議にも何人かのリクルートの人たちが参加してくれた。僕はたくさんの若い連中と会ったが、永井くんもその一人。誰に届くか分からないボトルメールというサービスを開発していた。このコンセプトは死んではいないと思う。社会がまだ未熟なだけw 永井くんと谷川さんとの出会いは、また何かが始まる予感。
 それでモノレールで県庁前まで行ったら、偶然、別のホテルに泊まった仁上さんが(笑)一緒にカレー屋へ。 

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  その後、橘川と谷川さんは、チュラコスへ。チュラコスがタイで建設中の学校の報告会。来年一月に開校式。チェンマイから車で四時間という山間部。僕が言い出しっぺなので行かなければならないのだが、体調に自信なし^_^

 チュラコスの社員は谷川さんの話を熱心に聞く。開校式は賑やかなものになりそうだ。AEFAの学校建設はもうすぐ300校に到達する。谷川さんが当初目標とした数字だ。キングコング西野くんがサポートした学校も建設中。谷川さんと、次のテーマを検討中。

 谷川さんはもうすぐ76歳。元気とはいえアジアの山奥を走り回るには限界がある。次世代の連中につなげていかないと。学生インターンでもまとめるかな。若いうちに、自分たちで、アジアの僻地で学校建設に関わるのは、何よりの学びになるはず。

 谷川さんと出会って10年くらい。僕は、ただいろんな人脈につなげただけだが、あとは次世代だな、多分。

 夜は、チュラコスの与那覇くんらメンバーと宴。次回の沖縄未来フェスに登壇希望者4人現る^_^ 明日、東京へ帰るが、またまた実りある旅でした。

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那覇空港。飛行機で読む本のチェック。基本、マンガ。

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20191011 カクメット

 明日に備えて、昔、川田十夢くんにもらった角メットを自宅に移動。橘川は一応、AR三兄弟の祖父という位置づけ。

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20191012 台風19号

 一日、家に。夕食は、非常事態に備えて、おにぎり、おやつに、栗最中。

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 木造の二階にいるが、雨戸越しに不気味な風音。ますます強くなる。家もぐらぐら揺れる。一階にいた方が良いかも。


20191013 台風一過

 未曾有の天災だったが被害はかなり抑えられたように思う。目黒に越してきてから30年だが、近所の年寄りの話だと、昔(バブル以前)は、台風が来るとすぐに水があふれた地域だったらしい。家の裏には今は埋め立てて下水になっているが、かつては暗渠(ドブ)だったと思われる細い道がある。

 僕の生まれは新宿の四谷だが、子どもの頃は、台風になるとドブや下水から水があふれた。早稲田や五反田は、いつも水浸しになっていた。70年代、神田川の近くのマンションに住んでいた友人は、地下の音楽室に置いてあったピアノが水没した。

 埼玉春日部の地下神殿や、中目黒や環七地下の地下貯水池が機能したのだろう。80年代バブルの時代に立案した公共投資が功を為したのか。目黒川の水位は、かなりやばいところまで来て、一気に水位が下がった。ギリギリのところまで耐えて水を海に流し、限界のところでセフティ機能を操作したオペレーターがいたのだろう。感謝である。

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 朝、荒れているだろうと思って林試の森に行ったら、きれいになっていた。朝の7時30分だというのに。今日も、近隣の年寄りが朝のラジオ体操に来て、片付けてくれたのか。住宅街でも、年寄りが、道端を掃除してる。うちもやった。小枝が、下水道に流れて詰まると困るから。


 日本は災害と縁が切れないが、大災害が起きるたびに、日本の良さを見直すのも、事実である。

▼参考

東京都における河川と下水道の連携

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