見出し画像

表と裏の崩壊について。父親の消滅。


 新宿や池袋のように、かつては、暴力やいかがわしさが滲み出ていた街が、おしゃれでクールな雰囲気に変わっていった。仕事上で新規に契約をすると、反社会的勢力との関係がないということを宣言しなければならない。

 ヤクザというのは、裏の稼業だが、実は、裏と表を行き来することによってビジネスが成立していた。表の金融業や不動産業などを通常のビジネスとして営みながら、何かあれば、裏側のヤクザ組織が表のビジネスに顔を出したり、無言の圧力をかけることで、表のビジネスを繁盛させた。それが、裏側の組織は、暴対法により徹底的に監視され弱体化させられた。

 日本社会は、表と裏の二重構造で出来ている。建前と本音である。その構造が崩れていると思う。するとどうなるか。本音が裏側に潜んでいるのではなく、堂々と表にせせりだす。ブラック企業と呼ばれている企業組織は、背後にヤクザ組織を持たないフロント企業そのものである。弱肉強食の本音の原理を、半ば合法的に運用し、強力な組織が弱々しき若者を痛めつけている。

 ヤクザと同じように、相撲の世界も、かつては、ガタイが良くて腕力の強い、ごんたくれ(乱暴者)の社会的な受け皿の一つであった。建前と本音の入り交じる、日本社会の原像のような世界だろう。この世界を表と裏のない世界に統合しようとすると、表は柔道のような近代スポーツ、裏はプロレスのような興行に分離するしかないだろう。

 表と裏のシフトと融合は、日本社会のあらゆる局面で起きているのではないか。これは、日本の「家制度」の崩壊とつながっている現象だと思う。かつて政治の世界は、建前と本音が一体化し、優れた政治家は「清濁併せ呑む」者であった。派閥のトップは、家長であり、絶対的な父親である。父親は、普段は、暴君のようにわがままであったが、イザという時は、自らの生命を投げ打ってでも、家を守った。その覚悟を感じていたので、一族郎党や国民は、その政治家の振る舞いを許していたのである。しかし、今は、その覚悟がなく、自説に酔っているだけの政治家が多くないか。

 中小企業の親父も、大企業の社長も、かつては「社会的父親」であった。父親の言うことを聞いていれば心配ないし、何かの災難があった時にも守ってくれる、と信じていた。しかし、今の経営者は、何かの災難があった時、家である会社のことよりも、自分個人の財産の確保に走るだろう。自分の財産を担保にして、会社再建に尽くすような経営者は減ったのではないか。そういう変化の中で、戦後社会のような、組織への忠誠心を社員に求めても、虚しいだけだ。

 ヤクザの衰弱により、社会は、健全になったかというと、旧来の父親型の親分の組織は絶滅しつつあるが、かつてのヤクザ組織の予備軍であった、チンピラや愚連隊が、行き先を失って社会に直接登場している。いわゆる「やから」と呼ばれている連中が、表の世界にも増えてきているのではないか。ブラック企業とは、やから企業である。

ここから先は

165字

¥ 100

橘川幸夫の無料・毎日配信メルマガやってます。https://note.com/metakit/n/n2678a57161c4